UIUX大好きなことに加え。登壇者がクックパッドの池田さん、深津さん、DeNAの坪田さんという、カレーに唐揚げのっけて温泉卵のっけた的超豪華御馳走なセミナーに参加してきました。
UIデザインの今とこれから~現役UIデザイナーによるUIデザイナーのためのセミナー~です。
感想としては「カレーに唐揚げのっけて温泉卵のっけて、さらにまいせんのカツサンドも食ったが、溢れんばかりの食欲がわいてきてデブまっしぐら」です。色気より食い気。食欲の秋、芸術の秋万歳。そんなかんじが伝わればと思います。
UIUX大好きなことに加え。登壇者がクックパッドの池田さん、深津さん、DeNAの坪田さんという、カレーに唐揚げのっけて温泉卵のっけた的超豪華御馳走なセミナーに参加してきました。
UIデザインの今とこれから~現役UIデザイナーによるUIデザイナーのためのセミナー~です。
感想としては「カレーに唐揚げのっけて温泉卵のっけて、さらにまいせんのカツサンドも食ったが、溢れんばかりの食欲がわいてきてデブまっしぐら」です。色気より食い気。食欲の秋、芸術の秋万歳。そんなかんじが伝わればと思います。
「大人になったらマンガ家になる」。そう言って、塾や学校をさぼっては古本屋に通い詰め、マンガを書いて読み続けた結果。UIUXデザイナー(職種としては開発系webディレクター)となるに至った。
今もマンガは好きで、佐々木倫子や羽海野チカの新刊が出ては本屋に走るし、ブックオフで『なんて素敵にジャパネスク』とか『きらきら馨る』を一気に買ってきては「ヒサギかっこいいー」ときゅんきゅんしている。
「ホットロードが映画化される、主演は能年ちゃん」ときまってからは再びホットロード熱が上がる始末。現在、会社の先輩とともに、『ホットロード』『瞬きもせず』などの紬木たく名著を回し読みしている。半徹夜でクッソ忙しい日だってちゃんとマンガは読みつづけている。先日ついに会社のノートのすきまに春山書いてしまった。その中毒性は押して測るべし。
マンガを読んで書く過程と同じように。
UIを作ることには、中毒性があると思う。
UI作る仕事を私が好きなのは、ひとえにマンガを読んで書くのとUI設計が、おんなじ感覚だからだ。
その感覚についてつらつら書いてみようと思う。
文章を書いたり、音楽やったり、デザインする仕事をしていると、「これはつまらねえな」と思うことと「うわー、この次どうしてくれよう!血が騒ぐぜ」と思うことが両方ある。
「これはつまらねえな」なほうは、なんだか予定調和なのだ。文章の場合だと、「言いたいことはまとまっているんだけど、文章を貫く明確な軸がない」という状態。一般論すぎるとか、単なる事実羅列のレポートでしかないときなど。そんな時、締め切りがない自分のブログや、クオリティ優先の記事などは、寝かせて発酵させる処置をとる。時間がたつとあるとき勝手に発酵するか腐るので、発酵したとき文章にすればいいと思っている。腐ったらそれまでの文章なので、いさぎよく捨てる。
ただ、仕事の場合だと、いさぎよくすてるわけにもいかないので、やむをえずわくわくしない対応(予定調和な対応)しかしないことが多い。俗にいう「やっつけ仕事」だ。できることは喜ばしいけど、「やっつけ仕事」をしていると、仕事に対するモチベーションは緩やかに下がっていく。続けるモチベーションが下がっていいことは、何一つない。
なんとなくだけど。「これは予想外な状況になっちまった」ほうが、「うわー、この次どうしてくれよう!」と焦る半面、血が騒いでけっこう面白いことになるんじゃないかなと最近は思う。
たとえば、即興演奏。
セッション形式のライブで、ものすっごい楽しそうに演奏している人の音をきいていると、必ず予想してない旋律やアクションを起こしている。そこで私も何かが誘発されて「これやったら楽しいんじゃないかな」と思うようになったのだ。
譜面命の文化の吹奏楽にどっぷりだった私は、セッションをはじめた2013年の頭には、最初は何をひいていいのかまったくもってわからなかった。けど、周囲の演奏をきいて見ていると、不思議と何かがしたくなるようになった。
「せっかく音楽をやっているのですから、音を出す事、そして音で会話すること、そのもののプロセスを心から楽しんでいいのです!」
http://saito-akihiro.com/?p=247
セッションをはじめた頃、斉藤彰広さんのジャムセッション講座へ行ったとき、「音での会話をする」という点に主眼がおかれていることにすごくびっくりした。
私は長年吹奏楽畑にいたゆえ、ソロ=うまい人がかっこいい主旋律を前もってつくっておいたうえで演奏する、アドリブ=決められた小節を前もってつくっておいた何かで埋めるもの、と思いこんでたのだ。その場でソロでアドリブを演奏できる人なんて、自分なんかじゃ到底たどり着けないと思っていた。
でも、アドリブ(ときにソロにもなる)が会話であるときいて、見方が180度変わった。ドとレだけでも会話はできるから音楽はつくることができる。そうか、私は一人でかっこいい何かをするのではなく、目の前のみんなと楽器で会話をしていけばいいんだ。そう思うと、楽器にむかうとき、気持ちがものすごく楽になった。
渋さ知らズ de 怖いもの知らズでワークショップに参加し、渋さしらズオーケストラの方と一緒に演奏したときは、音圧と周囲の音での会話の総量に圧倒された。ダンドリスト不破さんにソロをふられたときは散々のできだったんだけど、「azumiはずっと笑顔だった」と言われた。そのくらい、音での会話、想像してない何か見えたのが面白かった。
音の会話は、「これは予想外な状況になっちまった」になることばかりだ。今はワークショップの仲間と一緒に「新鮮な特殊編成大所帯楽団(踊りあり)」AOSABAというバンドを立ち上げ、ライブをしているのだが、毎回毎回思いもよらない何かがおきる。
自分がホールトーンにあわせた音をひいてたら、誰かが「祭囃子だ」と思ってのって、バンドの音楽が祭囃子になったり。舞踏にあわせて、音の出し方、和音が一つ一つかわっていったり。同じ曲でも、見える世界はいつも違う。
「同じ川の流れの中に、二度入ることはできない。水は絶えず流れ続けているのだから。」
ヘラクレイトスはそういった。
曲をきいたり、文章を読んだりと「作ったものを受け取る」人は、その文章をはじめからうみだすためにその人が曲を書いた/文章を書いたように見えるかもしれない。でも制作者側からすれば、何かを生み出すために走り始めても、途中で新たな流れが見えて、思わぬ方向に作る物が成長していくことが多いのだ。
そして思わぬ方向に流れれば流れるほど、新しい発見が多くて、作ってる最中わくわくできる。いやいやではなく、楽しみながら作っているから、なんか作っててうれしく、満足がいくものを生み出すことができる。
もちろん、制作者が満足いくもの=周囲に受けるものではないとは思う。ブログ書いてると思わぬ記事が拡散されたり、気合いれまくって書いた記事が全然拡散しなかったり、結果なんてまったく読めない。
だから結果をきにせず、とりあえず自分が満足するものをたくさん生んでみようじゃねーかと思うのだ。
“Perfect” is the Enemy of “Good Enough”
「完璧」は、「十分よい」の敵
グレッグ・ナイバーグ
写真家のアンセル・アダムスも、この言葉をよく引き合いにだしいていたそう。
画面のなかの全てが完璧になるのを待っていたら、写真はとれない。「うまくなってから」といってセッションや合奏への参加を遠慮してしまっていたら、いつまでたってもうまくはなれない。
不完全なものから予想しえぬゴールがうまれる楽しさ。こいつこそ、デザインにも、文章、音楽にも内在し、人を惹き付けてやまない魔物だと思う。
web制作会社勤務の際にはクライアントの無茶要求大砲の集中砲火をうけ遁走。一群を率いた際には統率力なき暗君ぷりを発揮し、デザイナーにクーデターされ城を追われたこともある(プロジェクトから外されたよ!)。
事業会社に転職してからも、長篠の合戦における武田軍のごとく勢い任せて会議に挑んだ結果、用意周到に配置された上司の鉄砲隊に打ち負かされたこと数知れず。
しかし敗戦からこそ、学ぶべきものは多い。関ヶ原の合戦さながらの大戦を無事乗り切り、しばしの安寧をえた今、かつての敗戦記をまとめようと思い立った次第である。
モバイル「フロンティア」。
フロンティアとは、「北米大陸における、開拓地と未開拓地の境界」のこと。モバイルが登場したことにより、UXデザインは新たな未開拓地にふみこんでいる―。モバイルフロンティアの著者Rachel Hinmanは、開拓時代の凄まじい西漸を例とし、皆が開拓にふみだせるよう、この書籍のタイトルをつけたのだろう。
6/1(土)にモバイルUXデザインワークショップ:「モバイルフロンティア よりよいモバイルUXを生み出すためのデザインガイド」出版記念イベントに行ってきた。覚書と、モバイルUXに現場で関わって思ったことをまとめてみようと思う。
ゲームセンターCXが好きである。最新DVDはすべて借りたし、家で暇なときはたいていゲームセンターCX録画版を見ている。2010年12月31日~2011年1月1日には年末年始の番組は紅白・ガキ使を見ず「大晦日12時間ぶち抜き!! ゲームセンターCX×よゐこの企画案 年越し生放送 よゐこ祭り」を見ていた。夫はあきれていた。
私はこれを見るためにスカパー契約をしているといっても過言ではない。
何がおもしろいか。
有野課長のゲームの下手さ、周囲のADさんやカメラマンさんの存在はもちろんのこと。
いろんなゲームのUIが見れる、という点がとてもおもしろくて好きなのだ。
たとえば、主人公の死に際(1機消滅)ひとつとっても、おもしろいものがたくさんある。
「web制作会社は厳しいと思う。優秀な人は独立するか、もっと稼げるところにいくし。単価低いしやってられない。もうオワコンなんじゃないかとすら思う。」
某大手web制作会社に勤務している友人が最近、ふと愚痴をいっていた。
オワコン、というのは極端すぎると思うけど。2005年に夢みていた「webデザインの価値が認められるようになって業界として栄える」未来とはやや違う状況になっているとは思うので、なんだか切なくなってしまった。
私が新卒でwebディレクターになってから、今年でまる8年。前半4年はweb制作会社で主に対webサービス企業の担当、後半4年はwebサービス企業に所属してきた。2005年から2013年、8年間。ずいぶんweb業界がかわってきたなあと思う。
8年間業界にかかわってきた中で、web業界、特にweb制作会社とwebサービス企業のかかわりについて感じたことをつらつら書いてみる。
立川断層の調査にて、人工構造物を断層がずれた跡と誤認したというニュースがあった。
質問なるほドリ:立川断層帯、なぜ間違ったの?=回答・鳥井真平
Q それにしてもどうして間違ったのかな?
A 佐藤教授は「思い込み」を原因に挙げています。断層があるだろうと言われてきた場所を「あるはずだ」と考えながら調べていたから、と言います。人工的な物が埋まっている可能性も失念していました。
この記事を読んで「ひとごとじゃない」と、私はぞっとした。
立川断層の件は、UIUX改善のときに落ちるポイントと、本当に似ているから。