ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

ランディングページを粉砕する、昇天ペガサスMIX盛り&つけま1mmへの拘り

ランディングページにとにかく要素もりもりつっこむ・一個文章追加したらユーザーがちゃんと読んでくれる、は発信者側のエゴだと思う。

たとえるなら。一般男性に対して「髪型を昇天ペガサスMIX盛りにしたから惚れてくれ」もしくは「つけまつげを1ミリのばしたから気づいてほめてくれ」と、女性が言い出すレベル感。どうだ困っちゃうだろう。

でも、実際ランディングページ改善の施策をしてると、そんな発信者のエゴを丸出しにしてしまうことがある。そして粉砕されるランディングページ。ああ工数の無駄遣い。ごめんなさい。

 

今回は過去の失敗を反省して、エゴ丸出しの要素追加と、ちゃんとユーザーのためになる要素追加、何が違うのかを考えてみた。

 

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DeNA Creative Seminar Vol.2 #denacrt でスマホUX/UIについて考えた

7/23(月)DeNA Creative Seminar Vol.2 に参加してきました。

「スマートフォンのUI/UXをテーマとして、フロントエンドエンジニア、UI/UXデザイナーなど、スマートフォンアプリやWebサービスのフロントエンドに関わる方々を対象とした勉強会」の第二回です。

特に私はECの中の人という関係上、やっぱりビッダーズのUI/UXがきになるところ。(ビッダーズのUI/UXは、シンプルでいいと思う)しかも天上の空間、ヒカリエに入れる!しかも豪華社員食堂のごはんもいただける!わくわくしないはずがありません。

というわけで本日のメニューはこちら。
セッション1:ブラウザレンダリングについて
NHN Japan 吉田徹生氏
セッション2:ソーシャルコマースサイトの企画と実装
DeNA 鈴木哲之氏
セッション3:スマートフォンにおけるUI/UX改善とscrum開発
DeNA 坪田朋氏

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UX勉強の読書:ペルソナ作って、それからどうするの?ユーザー中心デザインで作るWebサイト

UX(ユーザーエクスペリエンスデザイン)を実務にいかすため、勉強会に参加&読書もはじめました。
仕事関係の書物はプロジェクト開始ごとに3〜5冊くらい買い込んで読み込むので、今回はその一環でもあります。

というわけでまず一冊目!

ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』棚橋 弘季 (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/5/30)

著者の棚橋氏のブログを愛読しているのですが、その中でも「巨大な豚に口紅を塗ることがUXをデザインすることではない。」という記事にぐっさりやられたのでした。今の自分の仕事に限界をかんじてしまいました・・・。
私の中ではこの記事と出会ったのが、UX考える上での相当の転機となったので、まずは棚橋氏の著書から読んでみようと思い購入したのでした。

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ソロで聴ける音になるための、スティールパン練習記録_120715

「スティールパン、ソロできれいな音をだす!」という今年の目標を達成すべく、スティールパン練習(曲)を晒すという試み第二回目です。
相変わらずお上手ではありませんが、一般人の奮闘をどうぞご堪能ください(笑)

参考;第一回 ソロで聴ける音になるための、スティールパン練習記録_120610

今月の曲:「ありがとう」byいきものがかり

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UXについて考えたくて「観察」ワークショップに参加してきた!

制作するwebサイトの精度をあげるには、よい「問い」が必要だ。

3年半前、制作会社からECサイト運営会社に転職したものも、データから問いをたてる必要性にかられてだった。そして現在私はデータドリブンな世界 〜効果測定などで得られたデータをもとにアクションをおこしていく世界〜 の中にいる。

ただ一方で、データ中心で問いをたてることに限界も感じている。データ中心の問いをたてても、「PCとスマホでどう連携するのか」というような、媒体をこえたユーザーへの価値を生み出す「問い」がうみだしづらいなあ、と痛感したからだった。

データ中心の問いは、画面単位での改善点は見えてくるんだけど、ユーザーの行動を変えるアクションは見えづらい。あてずっぽうに問いをたてても精度は低い。
ゆえに、ユーザー目線からも「問い」をたてたくて、ユーザー中心デザインを学ぼうと考えた。

※UIやさんにできることの限界を感じ始めたのは「認めたくないものだな。自分の作ったUIの限界というものを。」という記事あたりがきっかけです。このときUX=ユーザー体験と認識しただけで、UX改善=イノベーションだとは理解していません。しかし、データドリブンに基づくUI改善に限界を感じたのは事実なので書いておきます

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脱原発デモ「紫陽花革命」が共感を呼びづらい理由

大飯原発再稼働を前に、反原発デモが至る所で行われている。首相官邸前で行われたデモ「紫陽花革命」もその一つ。どちらかというと政治主張が左寄りの私は気になってその主張をみたんだけど・・・その瞬間ドン引きしてしまった。

「なんで世論の支持を遠ざけるようなアプローチしちゃうの?!」って思った。

紫陽花革命の主張を、私はこんな風に感じてしまったのだ。

「オーバースペックすぎてニーズが少ない商品」を、
「不安をあおって上から目線で消費者に売ろうとしてる」人。
※商品=市民活動
※消費者=一般市民

他の人の目にはどううつっているかはわからないけど、今回は脱原発デモ「紫陽花革命」が共感を呼びづらい理由について、政治学的視点と、表現的視点から、考察をしてみようと思う。

※今回は脱原発デモのアプローチ方法についての議論であって、脱原発がいいのか、原発維持がいいのかという議論ではないでのでご了承ください。エネルギー問題について私に議論を求めても、スルーしますのでご了承ください。

※基本、私は脱原発をしていくべきという思想なので、紫陽花革命の支持者と考えは近いです。事実、17歳の頃から、3つのNPO/NGOで8年間活動してきてたし、今も某環境NGOに毎年欠かさず寄付をしています。大学では日本の市民活動の発展を願って政治学を専攻し「日本におけるNPO活動」という卒業論文を書きました。どっちかというと左よりです。
だからこそ、紫陽花革命についてのアプローチは疑問を感じています。

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