webディレクターの阿呆な研究

勉強できない自分が、勉強できるできない超えて、とにかく学びたい時のノートの書き方

imgm_151028ノートの取り方が話題になっている。
勉強ができる人とできない人の、ノートの取り方における決定的な違いについて
多分勉強ができていた私は、具体的にどうやってノートを書いていたか
このあたり読んだ。で、思ったこと。

勉強できる人=ノートの情報編集をやってる人ではなかった気がする。
感覚値でしかないんだけど。偏差値60台までは美しくノートをとっている人は多かったけど、東大にいくレベルで偏差値70台以上の人はノートぽいものとってなくてもできていた。
ひとつの何かから一気に記憶する力、思考していく能力ともに相当高い『できる人』。

『不倒城』の人は、まさに『できる人』のように思う。
こういう人はひとつの何かから一気に色々正しく思い出せるから、「明日の自分は今日の自分とつながっている」と信じられてるのではないか。

・逆に私は「明日の自分は全くの赤の他人。」
100言われるとと明日には99忘れる。内部記憶メモリが10年以上前のPC状態。
すがすがしいほどの残念ぷり。
だから何かを心から学びたいと思ったら、内部記憶メモリがない以上、明日の自分=他人にむけたものを残しておく(外付けハードディスク)の存在が必須だったのだ。
明日の自分=他人にむけたもの=情報編集をしっかりやったものを残す。
それが私にとってのノートの存在。

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「伝えるものづくり」じゃない、「溢れだすものづくり」へ

img_151022最近、人生の目指す方向が、がらっと変わった。
「伝えるものづくり」じゃない、「溢れだすものづくり」へ。

生きることはつくることに他ならない。
「ああ、これからずっともっと創れるなあ」て気づけたのが、今はただただ有難いなと思う。

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