ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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「そこに山があるからだ」というエネルギー

会社に、大好きな先輩がいる。とても厳しい先輩。
私はその先輩をとても尊敬していた。その方がときおり厳しい言葉をはいてしまい、他の人がその言葉をネガティブにとらえていたとしても、私はあんまり気にならなかった。先輩は言葉は厳しいけど、決して間違ったことはいってなくて、まっすぐ前をみてたから。そして会話のふとした瞬間に、ふ、と見せるその人の笑顔がスキなのだ。

大好きな先輩の話

先輩は「伝えるものを作る」という点において、誰よりもいろんな範囲から問いを投げ続けていた。
「今の問題解決どうすればできる?」だけではない。

競合他社、海外の様々なサイト、ユーザビリティ、情報設計、デザイン、コーディングの品質というようなweb制作の面。
何を提供すれば、ユーザーが価値を感じるのかというイノベーションの面。
どうやれば売上が上がるか、社内でどう運用させていくか、というようなビジネスプロセスの面。
過去から未来へと向かう会社全体の面。

先輩の問いは、誰よりも多かった。誰よりも考えぬいていた。
そして問いからでた答えを要件定義に落とし、貫こうとしていた。

先輩を見てると、アルピニストを思い出す。
前人未到の山に登る人。
準備も相応にかかるし、登るだけでも相当骨がおれる。上りきれるかなんてわからない。
でも、その人は上っていた。そして、私が及ばない、遥かなる高みに上っていた。

見ている世界

朝霧高原にいったとき。富士山の裾野の朝霧高原から見る駿河湾は、山と山の間にはさまれて、海が突然ぽっかり浮いているように見えた。
もしこれが、私のうしろにどーんと控えてる富士山の頂上からならどう見えるのか。山と山の間には見えず、太平洋と一体になってどこまでも広く見えるのか。
それとも駿河湾なんて見えず、雲海ばかりのまったくの別世界が見えるのか。

「そこから見た世界って、どう見えるんだろう?」
「私が普段見てる世界と、どう違うんだろう?」
ー純粋に興味を持った。次に走るには十分だった。

「数字をもってwebサイトの改善をしていきたい」という3年前の転職の目的も、ある程度達成してきてはいた。先輩の立場から見た世界はどんなんなんだろう、という問いは、次に走り出すのに十分なきっかけだった。

「そこに山があるからだ」

先輩の背中をおいかけたその先で先輩と同じものを見える、ということは、たぶん、ない。
先輩の背中と頂上を目指しつつも、私はきっと、先輩とは違った道を歩むだろうから。先輩よりずっと時間はかかるかもしれない。けど、それが頂上を目指さない理由には、何もならない。

そこに山があるからだ。

作ってる最中は「なんでこんなん作ろうと思ったんだろう」って考える。
一個一個のコンテンツを一言で表せる切り口である「軸」を探して歩き出すために、何冊も取材対象者の本を読んだり、他社サイトを一日中見てノートに模写したり、トラフィック解析を実施しexcelでビボット集計したり。デザイナーさんやコーダーさん、マーケター、エンジニアに共有して、荒れた道を一緒に切り開いたり。足を一歩一歩前に出すために、考えることは山ほどある。

歯を食いしばって終電まで粘り、帰り道でも構成案を考え、時には夢の中まで作ってるものがでてきて魘されて目が覚めるときもある。「しんどい」と机にはりついたり、「どうすればいい?」「うああああーーー」とか叫びながら作ることもしばしばだ。
たぶん、考えなければ楽になる。

けど、自分で決めて一歩ずつ進んだその先に、ふと開けた景色は、ぞっとするほど美しい。
何度も何度も何度も見返しては、うっとりしてしまう。
会社でそれをしてると「何ニヤニヤしてるんですか」と言われる。最近は便所との往復のときもニヤニヤしてたらしい。たぶん相当怪しい。
でもその瞬間、「生きてる!」って、たしかに感じるのだ。

そのたった一瞬の感覚のために、私はたぶん、生きている。

エネルギーと人生

恋愛は大事だけど、その一瞬の感覚を前にすると、その価値は恐ろしいほど低い。
「遠いところに好きな人がいて、たぶんむこうも同じだったけど、作れなくなる環境になるから先に進もうと思わなかった」
というと、多くの人から「馬鹿じゃないか」という。でも私にとっては死活問題だった。
家族もそうだ。その一瞬の感覚をぜったいに守り続けてくれるようなパートナー(結婚してもばりばり働くことをよしとし、狂ったように何かしててもそのまま受け入れてくれる相手)に出会えたのは人生で最大のラッキーとすら思う。
自分自身の体さえも同じ。ストレスで左耳を壊して難聴になったときも、仕事をやめようなんてつゆ一つ思わなかった。どうやってのりきるかしか考えなかった。伝えるものをつくるために。

つまるところ、自分の興味の一番は、何より「伝えるものをつくる」でしかない。

web制作の勉強はじめたのは
「伝えるものをどう技術的につくるか知りたかったから」

前職につとめたのは
「人と一緒に伝えるものをつくれるようになりたかったから」

現職につとめたのは
「数字をもって、伝えるものをつくれるようになりたかったから」

そして今、もっと広い範囲から伝えるものをつくれるようになりたい、と思ってる。

馬鹿みたいだけど、30歳になったことだし、決意をこめて。

※今日はおもったこと、思うがままかいています。論理とかそういうのいっさいなしです。すみません。

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