ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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原体験がもたらすもの(またはNGO/NPO就職を断念しweb業界に入った理由)

Oxfam International / Free Photos

日本のNPO/NGOを支えることを目指して政治を専攻したはずが、超方向転換してweb業界に勤めるに至った。
ここ最近、数人の方に「卒業論文が日本におけるNPO活動だった」というテーマを話すと、なぜ、政治を専攻してたのにweb業界?ときかれたのでこの場にも書いておこうと思った。

こたえは、「私は社会問題へのアプローチするための原体験を、もちえなかった。」から。
NPO/NGOでプロジェクトを推進するようなリーダーには必ずと言っていっていいほど、心から変えたいと思う社会問題がある。他方、変えたいと心から思う社会問題が、私にはなかったのだ。

自分に唯一あったのは「伝えるものを作る、という以外に自分が社会で生きていく方法はない」という焦燥感

NPO/NGOで働くことを志すまで

Giant Ginkgo / Free Photos

高校2年の夏には、福祉系への進学を考えていた。障がい児の林間学校やイベントをサポートするボランティアを経験する中で、「日本のボランティア活動(NPO活動・NGO活動)をもっと活発にできないのか?」という漠然とした問いを抱えたためだった。

しかし、高校2年の冬に、予備校でサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」を英語原文で読んだことがきっかけで、志望を大幅に変えるに至った。歴史の中で生じてた戦争や政治的対立が『文明』という概念でくくれることに驚いた。政治学・社会学のような大きい視点があること自体に興味がわいた。同時に、自分一人が誰かを直接手助けするより、マクロな視点で制度を作ったり、開発援助施策を考えたほうがもっといろんなことができるんだろうなと直感的に感じた。そんなわけで志望を政治・社会関係へ切り替え、大学へ無事入学。

この時点での私の問いは、「日本のボランティア活動(NPO活動・NGO活動)をもっと活発にできないのか?」という点に他ならなかった。答えを探すてがかりを得ようと、大学所属中ずっと国際協力NGOに参加して、バングラデシュでトイレを掘ったり、ワークキャンプを岩手県で主催したり、環境NGOで活動してフィールドワークを続けた。卒業論文は「日本におけるNPO活動」というずっと私が抱えてた、当初の問いに答えるものを執筆しようとしていた。
就職活動が活発化する3年生前半まで、自分は卒業したら、どこかのNPO/NGOで働きたいという想いをもっていた。

原体験について考える

Zoriah / Free Photos

そんな中、同じくNPO/NGO活動に関わっており、ゼミの先輩であるJさんという方と話す機会があった。
Jさんの卒業論文は、武器輸出についてのテーマだった。
なぜそのテーマを選んだのか、という問いに、Jさんはこう答えた。
「親の仕事の都合で中東に住んでいた時期がある。そのときの友達が、中東地域の紛争で命を落としたから、どうにかしなきゃいけないと思った」
「中東で何が起きているかなど、現状を伝えられる立場としてのジャーナリストになりたいと思った」

Jさんはそのとき、本当に悔しそうに話していた。
Jさんの語る原体験は、まさに心の一番奥からでていたことばだった。

翻って自分を考えてみると。
お恥ずかしい話、私の「日本のボランティア活動(NPO活動・NGO活動)をもっと活発にできないのか?」という問いは、心の一番奥からでてきたものではなかった。

そもそもボランティアをはじめたのも、人間関係に失敗して登校拒否気味になっていた中でも、社会との隔絶をしたくなかったからだ。高校時代の自分と、社会のつながりを保ってくれたNPO/NGOという組織を支援したかった。でもそれは、弱い立場の人を助けること・・・NPO活動・NGO活動を支えていくこと・・・社会と隔絶した自分を肯定するためという側面が強かった。

卒業論文を執筆する中で、NPO/NGO活動を活発化させる方法として、政策提言、企業からのアプローチ、分野におけるスペシャリストになる・・・というアプローチ方法は学術的にはわかっていた。でも、私はどの一つにも深くコミットしようという気持ちにはなれなかった。NPO活動・NGO活動をどう支えるの?その「どう」が、私の体験には欠落していたからだ。

私の問いは、社会のどこにも、つながっていなかった。
自分にしかつながっていなかった。
そんな状態で社会問題と向き合おうとしている自分がとても恥ずかしかった。

また、NPO/NGO活動をする中で出会ったプロジェクトリーダーの方達は、必ずといっていいほど決意をもっていた。「社会のこの問題に、自分がこういう方法でアプローチしたい」という決意。
そのために、学問を極めて政策提言を志したり、地元に帰ってNPOバンクを設立したり。

大学のゼミの後輩では「モンゴルのマンホールチルドレンの状況を変えたい」という想いをもってNGOを立ち上げた方もいる。NGOユイマールの代表、照屋朋子さん。高校時代にモンゴルのマンホールチルドレンについて知った彼女は、「法整備支援家として国際協力に携わる」という夢を持ち、大学へ進学する。

大学2年の時に、NGOの活動に同行してモンゴルの孤児院『太陽の子ども達』を訪れた。
モンゴルへ向かう旅の途中、照屋は高校時代の勉強会を思い出し、荒んだ世界を想像していた。
しかし、いざ孤児院を訪れてみると、照屋を迎えてくれた子ども達は予想外に「普通」だった。
明るく、人懐っこくて、言葉が通じないにもかかわらずたくさん話かけてきてくれた。
みんな照屋の手を握りキスをしてきた。
モンゴル滞在中は、押し花をして遊んだり、牛をおっかけたり、満天の星空の下で歌を歌って遊んだ。
別れる前日、特に仲の良かった子ども達に生い立ちを聞いてみることにした。子ども達は語ってくれた。
物心ついた時から一人で路上生活をしていたこと。
両親が亡くなり遊牧民の家で奴隷のように働かされていたこと。
片親がいるが半年前に孤児院に預けたまま行方がわからないこと。
子ども達は語ってくれた。衝撃だった。
彼らはみな、その笑顔からは想像もできない過去を背負っていた。

(中略)
007年4月、照屋は上智大学の法科大学院へと進学した。大学3年時には就職活動もしたが、弁護士になり、途上国の法整備支援家となって、モンゴルを支援したい。やはり、その夢は諦められなかった。
2007年6月、大きくなった子ども達が自立できず、またその子ども達を養うために、他に助けを求めている子どもを入園させられない状況があるとの報告を受けた。
高校を卒業して2年も経つルーヤ(19歳)はモンゴル芸術大学の試験に受かっているが、経済的に苦しく入学させられないということを聞いた。
このまま放っておいたら、せっかくの才能を摘むことになってしまう。
一人の力では学費を出せないけど、組織として活動すれば資金が集まるかもしれない。
何とかしたいという気持ちから大学院を休学、22歳の夏、母親から貰った5万円の資金を下に「NGOユイマール」を立ち上げた。

こういう強烈な原体験をもっていることは、何かを成し遂げるためには大事な一つの要素になるだろう。実際、成果をあげている照屋さんのアプローチを、私は本当に素晴らしいと思う。

社会で生き残るための焦燥感

masakiishitani / Free Photos

じゃあ自分は何ができるんだろう、と考えたとき、唯一でてきたのが「伝えるものをつくる」だった。
4歳の頃には進研ゼミの漫画を読んでまねっこして漫画を書き始め、そこから何か機会があるごとに絵や文章をかいていた。様々な情報をあつめ、編集して、伝わるものとして世に出していく。アルバイトしても鈍臭く、先輩に怒られてばっかで役にたたない自分でも、塾講師や家庭教師のような、情報をわかりやすく編集して伝える仕事だけは何をやっても楽しかったし、高く評価され他人の役にたっていた。

伝えるものを作る以外、自分が社会で生きる道はない。
能力値が低い自分のしたいこと〜NPO/NGO活動を活発化させたい〜を目指して苦手な仕事をするよりは、自分ができること〜伝えるものをつくること〜をしたほうが、社会へ貢献できるのではないかと考えた。

私のこれは、Jさんと同列に並べられるような原体験と同列のものか、今でもわからない。社会問題を解決したいというよりは、自分が生き残りたいという意味合いでの生存本能に近いものがあるから。
「3月のライオン」での零くんの将棋が、私にとっての「伝えるものづくり」だ。

原体験と、その強さのもたらすもの

davedehetre / Free Photos

その後、くだんのJさんとは没交渉となってしまったけど、今もご自身の想いをもって、ジャーナリストとしてご活躍されているだろうと信じている。
目の前の誰かにつながる問題をどうにかしたい。
こういう原体験が動かす力は、その人の人生を一発で変えてしまうくらいとても強いものだから。

もちろん、強い原体験があることが、必ずしもすべてにおいていいことと私は思えない。原体験に基づいた職業意識や活動への思いが相当強い分、そのアクションを阻害する何かを切り捨てる判断をしなきゃいけないから。

例えば就職先。Jさんは、新聞社で自分の政治思想を語った所、会社の意向とあわないとのことで最終面接で折り合いがつかなかったと伝え聞いた。

例えば家族や恋人。夫(当時メガバンク勤務)が異動の場合関東以外の地方もあるかも、という話となったとき、申し訳ないけど、私は「ついていく」という思想に一切ならなかった。webをやるなら、技術が集まっているのはどう考えても東京近辺だから。ついていく、ではなく遠距離になること前提で関係性をすべて考えた。終わるなら終わるで仕方ないとすら思ってた(まあ転勤はなく、結局無事に結婚へ至ったわけだけど)。

何より自分自身。それ以外道がない、という認識は怖い。仕事がうまく行かなかったら、自分の存在をすべて否定することになりかねないから。怖いけど、どうしてもその強迫観念から私は逃れられない。だから働いてる。自分から嵐につっこむようなもんだ。これが幸せかどうかはわからないけど、少なくとも嵐の中の景色ー何かをつくってるときに見えるものーは美しく幸せだと思ってる。

何に人生のプライオリティをおくかは人それぞれだ。
原体験から根ざした職業につき、社会問題を解決したり、生存するために成果をあげていくか。
仕事以外の何かにうちこみ、仕事は日々の生活のためとするか。
どういう生き方でもいい。
自分の価値観を形成した原体験とその強さを考えるというのは、自分におきた事象へリアクションする際、どうするか判断する大きな基準となりえると思う。

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