突然ですが。webサービスにおける、webデザインの費用対効果について、しばらくつらつらとかいて行こうと思う。
きっかけは、デザインについての「デザインは安くすませられるよね」という社内認識にあらためてふれたことだった。
「違う、違う、そうじゃ そうじゃなーいー!」と鈴木雅之ばりに私は叫びたいものの、ポジショントークにもうけとられかねない。唇ふさいで何もいわせない、とかできないしさ。感覚として大事さはわかってるけど、それは人に論理的に伝えないと組織なんて動かない。
ならば、webサービスで利益を得ている組織(弊社はEC)において「なぜデザインは大事なのか?なぜ費用をかける必要があるのか」を徹底的に考えようと思った次第である。
※ここでいうwebデザイン=成果物としては制作者側の納品データ。PSDやAI、htmlやCSS、jsや画像などを意図しています。
まず、前提にある問題意識「なぜ、webデザインは「安い」ようにみられてしまうのか?」について述べる。
個人的には、参入障壁の低さと、技術の伝播のスピード、デザインへの認識そのものが鍵だと思う。
webデザイン=「安い」ようにみえる4つの理由
NEW LOWER PRICE / NEW UGLY FONT / rutlo
参入障壁が低く見える
・原価が低い。アプリケーションと多少の知識があれば制作できる。
・デザインの成果物であるPSDやAIファイル、HTMLやCSSは、誰でも作ろうと思えば作れる。素人でもつくれるものであるし、事実作っている人はいる。素人がつくれるものとプロがつくるものは当然品質は違うが、一応動かないことはない。本気で頭をつかってみない限り、その差は「なんかいまいち」「なんとなくかっこいい」という程度の差しかないように見えてしまう。
技術が広く、速くシェアされやすい
・インターネット業界ゆえ知識の伝播もはやく、そこそこのデザイン、HTMLを作る人がたくさん生まれてやすい現状。首都圏には技術者が固まっているため、勉強会やセミナーなど、対面でのコミュニケーションが促されやすい。
・優れた技術も、blogやソーシャルメディアで次々と伝播し、またライブラリが整えられ、その技術に精通してない者でも一定程度は扱うことができる。
制作物という点だけにおいて、デザイン作業が定義されてしまっている。
デザイン作業は「ただ作ること」に定義がおかれてしまってると思う。
この理由については、経済産業省:「デザインの効果測定に関する調査報告書」に詳しく述べられている。
・デザイン(Design)の語源は、14 世紀のラテン語 Designare である。Designare は、「計画に 基づき、作る(創る、造る)こと」「創ること、考案すること、意図すること」を意味していた。
4これが中世英語に移って、現在の Design となっていることから考えると、デザインは、モノの 姿や形よりも、「計画」や「意図」にこそ、その本質があるのだと言えよう。しかし、日本ではこれが異なる受け止められ方をされてきたのである。
我が国に Design という言葉が入って来た時、Design は「意匠」と訳された。「意」は、意志、 想い、「匠」は、技巧、工夫、たくらみ、を意味するから、「意匠」とは「想いを形にするための 技術や方法」を示すものだと言える。つまり、英語の原義に忠実な翻訳語であったのだが、その 後、「意匠」は、単なる「装飾」と同義になってしまったのである。
経済産業省:「デザインの効果測定に関する調査報告書」より引用
効果が一目瞭然ではなく、評価しづらい。
デザインの効果をどうはかるのか、はとても難しい問題だ。
CPAで計測できる、アドワーズやオーバーチュアのように、費用対効果が容易に計測できる施策においては、会社の利益をあげるために費用をかける判断はしやすい。確実に積み増しが狙える分野だからだ。
他方、デザインはそのようなわかりやすい計測ができない。デザインは受け取る側の「主観」だととらえられがちだからだ。サイトのデザインをかえたからといって、見えない好感度?なるものがあがったところは即座に数値化できない。ましてや販促施策やマーケティングなど複合的要因がからんで成果をあげた場合、デザインが及ぼした影響を○%です、、とはさすがに割り出しづらい。
「見えざる手」の存在
supply-demand-curves / jean-louis zimmermann
以上の「参入障壁が低く見える」「ノウハウが広く、速くシェアされやすい」「制作物という点だけにおいて、デザイン作業が定義されてしまっている。」という点から、技術価値や業務範囲が低く見積もられがちとなる。さらには「効果が一目瞭然ではなく、評価しづらい。」ため、会社の費用を投資すべきかどうか判断するとき、どうしても優先順位が後ろまわしにされてしまう。
もちろん、広告やPR、サービスにおける、webの価値増加はある。販売促進やブランディングのため、広告業界、PR業界の発注割合は当然紙媒体・TVなどから、web媒体へ流れている。web業界は優れた技術力があれば新卒年某1000万、というような破格の待遇も存在するように見える。このため、人の流入も非常に活発だ。(事実、私の知人の紙媒体のデザイナーの多くが、webデザインに関わっていたり、web専業へと転向している)。
しかし、そんなスーパー破格待遇をうけるスキルをもった人なんて本当に一握りだ。不況の現在において、常に供給が多めであることは否めない。結果、需要と供給が自然に調整される「見えざる手」により、価格が安くおさえられてしまうのではないかと思う。
だから、デザインの現場から遠いえらい人からみたら、デザインにはあまりおくべき価値がないように見える。結果、「webデザインは安くつくれる」と見られてしまうのではないだろうか。なすにまかせたらまあ・・・まあ当然な結果ではなかろうか。
現場の人間としては「違う、違う、そうじゃ そうじゃなーいー!」なんだけどね。
↑これを本気で歌いたいのですよ。名曲。
というわけで、次は、成功事例や現場から見たwebデザインの価値について述べたいと思う。
No commented yet.