「同僚、特に男性に優しくできないときがあるのですよ」
ある日のランチの帰り道、ふとぼやいてしまった。
「できそこないの男たち (光文社新書)たち、という本を読んでみなよ」
そんな私に対して、ランチ仲間であり、尊敬するエンジニアさんでもある@ogijunさんが一冊の本を勧めてくれた。尊敬する人が進める本は必ずオモシロイ。というわけで早速読んでみようと思った次第である。
身近な男性に優しくできない事象発生パターン
・例
夫:私が洗い物をしている中、酔っ払ってパンツ一丁で踊り狂い尻を触ってきたとき
同僚:「UI変えたらどうにかなるんじゃないか病」にかかった同僚が仕事をもってきたとき
まあまあ私もだめ人間であり、諸先輩方に大変な面倒をかけてきた人間のため、あまり偉そうなことはいえない。迷惑かけることはお互い様の面もあるから、笑ってすますことのが圧倒的に多い。
でも、相手が男性だと笑ってすませられないときがある。相手が男性のうえ、何かのパターンにはまると、いずれも語尾が厳しくなり顔を赤くしてしゃべってしまう。そういう時、先輩いわく私は「感情丸見え」。「azumiはきついから仕事がやりづらい」というフィードバックをいただく始末である。
できそこないの男たち
本書では、男性を男性たらしめる「SRY遺伝子」の発見をめぐる研究の歴史、研究者の生きざまが書き記されている。同時に、アリマキ、受精後の胎児、研究やプライベートで栄華を極めた男女研究者の末路など、男女の生きる姿が描かれている。
<生命の基本仕様>―それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす”使い走り”に過ぎない―
できそこないの男たち (光文社新書)
いずれも「生命の系譜は女性であり、男性はその系譜から外れたもの」という位置づけだ。
それゆえ、男性の体は癌になりやすい、感染症にかかりやすい等の弱さがある。
Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、基本仕様である女性の路線からはずれ、遺伝子の使い走り役に作り変えられた男たち。このプロセスで負荷がかかり、急場しのぎの変更が生物学的仕様に不整合を生じさせたのである。(中略)弱きもの、汝の名は男なり。
できそこないの男たち (光文社新書)
この一節を読んだとき、頭がひっくりかえった感覚を受けた。
私は「男性は強いものである」と、根本から定義してたことにきづいたのだ。弱い、なんて考えたことすらなかった。
もちろん、男性に一定の弱さがあるという面は十分に想定はしていた。
本当に好きな相手(夫)を追い詰め、相手を傷つけた結果、「顔を見たくない」と言われるレベルまで関係性が悪化したことがある。夫は泣いていなかった。ただただ静かに私にそういった。ふだん精神が強靭な夫の、本当にわずかに見せた表情。いまでも忘れられない。
でも、それは強い体と精神に隠された、本当に奥底の何かだと思っていた。
私は根本的には男性を強いものだと認識していた。
「男にはまけたくない」だからこそそう思って勉強も仕事もこなしてきた。
「女だからしょうがない」と弱い前提でいわれるのがいやでたまらなかった。
対等に渡り合いたかった。
でも心の奥では「男性は強い」という認識でいたのだ。
だからこそ、意味不明な阿呆行動をとる酔っ払い夫や、自分より仕事ができない男性(特に年上)をみるたび、強さとかけ離れたものを感じてしまい、いらっとする度合いが高かった。
相手が自分の期待より低い場合、期待をしなければきっとこんなにいらっとはしない。
心の底で私は期待してたのだ。「男性だから」と。「強くあって」と。
弱き男性が求めるもの
男性は、弱きもの。そう認識したとき、夫への見方が変わった。
女たちは男に、子育てのための家をつくらせ、家を暖めるための薪を運ばせた。日々の食料を確保することは男の最も重要な仕事となった。(中略)絵を描かせたり、何か面白いものを作らせたこともあっただろう。実に、ここに余剰の期限を見ることができる。(中略)余剰を支配するものが世界を支配するものとなるのに時間はそれほど必要ではなかった。
できそこないの男たち (光文社新書)
男は、「女性のために」生きている。
余剰をめぐる戦いにあけくれて強くなることが一番のお題目に見えるが、実は根幹には「女性が喜ぶ」があるのではないか。
だとしたら、夫が一番ほしいのは、「私がよろこぶ」ではないだろうか。
さすがにパンツ一丁をげらげら笑って喜ぶほど心に余裕があるときばかりではないが、基本的には私をよろこばせようとしている・・・そう思うと、なんというか、、、笑えてしまった。
ばかだなあ、しょうがないなあ、パンツ一丁。パンツ一丁に対して、確実に寛容になれる気がしてきた。
仕事場ではどうするか
しかしながら。仕事は「男はしようがないなあ」ではすませられない。会社の業績かかってるから。
それに「しようがないなあ」は、メス→オスの愛情の裏付けが必要だ。当然会社の同僚にそこまでの愛情をもってるわけではない。
それでも仕事をどうにかしてかなきゃいけない。そのとき、ふとある小説の一節をおもいだした。
「おともだちパンチ」をご存じだろうか。たとえば手近な人間のほっぺたへ、やむを得ず鉄拳をお見舞いする必要が生じたとき、人は拳を堅く握りしめる。その拳をよく見ていただきたい。親指は拳を外からくるみ込み、いわば四本の指を締める金具のごとき役割を果たしている。(中略)
しかしここで、いったんその拳を解いて、親指をほかの四本の指でくるみ込むように握り直してみよう。こうすると、男っぽいごつごつとした拳が、一点して自信なげな、まるで招き猫の手のような愛らしさをたたえる。
こんな拳ではちゃんちゃら可笑しくて、満腔の憎しみを手にこめることができようはずがない。画して暴力の連鎖は未然に防がれ、世界に調和がもたらされ、我々は今少しだけ美しきものを保ち得る。
夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
そうだ、おともだちパンチだ。
メス→オスの愛情ではないにせよ、同僚としての愛は保ち、伝える方法。
というわけで、おともだちパンチの美しきパターンをおぼえ、おともだちパンチの技を磨くことこそ、私がすべきことではないだろうか。
というわけで、美しいおともだちパンチを繰り出す先輩をみつめて例文をかきあつめる作業を現在している次第である。
「よろしいですか。女たるもの、のべつまくなし鉄拳をふるってはいけません。けれどもこの広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆です。
ですから、ふるいたくない鉄拳を敢えてふるわねばならぬ時もある。そんな時は私の教えたおともだちパンチをお使いなさい。堅く握った拳には愛がないけれども、おともだちパンチには愛がある。愛に満ちたおともだちパンチを駆使して優雅に世を渡ってこそ、美しく調和のある人生が開けるのです。」
夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
Leave a Reply