ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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誰かと一緒に、伝えるものをつくるということ

時々悪夢を見て、汗びっしょりで目を覚ますことがある。
高校1年生を思い出す夢。高校時代の夢を30歳超えた今でもみるなんてどんだけのトラウマだよ、と自分でも思う。
いや、心理的外傷ではないからトラウマではない。後悔の塊だ。
私は今も、後悔の塊に突き動かされて何かを作っている。

やりぬけなかったことへの後悔

高校に入ってすぐ、私が一番のめりこんでいたのは部活だった。吹奏楽部で打楽器を演奏していた。
朝5時におきて朝の自主練習へ行き、午前中の授業は寝て、早弁して、昼休みも練習し、午後は昼寝し、放課後は練習する。つまり、寝るか食べるか演奏するかしかしてなかったのである。

中学高校一貫の女子校で、前年(私が中学3年のとき)には、コンクールで金賞をとる実績をあげていた。自分は下手の横好きではあったけど、もっともっと何かができるんじゃないか、コンクールでもっと上を狙えるんじゃないかと思ってわくわくしながら練習していた。
ただ、決して広いコミュニティではなかったから、人間関係が悪化しやすい環境であることも否めなかった。何か一つの失言から数か月の無視につながることはしばしばだったし、規模の大小あれど常に誰かは誰かを嫌ってる状態ではあった。
そんな中、私も他人を配慮しない失言を繰り返したんだろう。いわゆる「嫌われ者」の状態になっていた。

人間関係が悪化したとき、高校1年の私はどうすればいいのかよくわからなかった。
とりあえず部活で成果をあげればいいのかと思って、高校1年生の3月に開催される定期演奏会の演出の役に立候補してみたものの。人間関係がよくない部活へのモチベーションが下がり、結果学校にもあまりいかない状態となってしまった。
それでも吹奏楽自体は好きだったし、定期演奏会も成功させたかったから、他校の演奏会は見に行ってたり、本を読んだりと、相応に演出をよくするための手法を考えていた。そして曲にあわせたシナリオぽいものを幾晩もワープロで作りつづけた。いいものをだせば、皆納得するだろうし、信頼も取り戻せると思っていたのだ。

でも、その演出シナリオは結果何の役にもたたなかった。
ただでさえ人間関係が悪化している中、会議に参加しようとしない、進捗の報告もしようとしない、何を考えているのかわからない人が何を言っても、何も生み出さなかったのだ。
結果、私はほとんど何もコミットしてない状態となった。だから、高校1年の定期演奏会は演奏した曲すらよく覚えていない。
その後、信頼を取り戻そうと何回も練習にでようとしたけど、人間関係が悪化した中でどうすればいいのかわからず、さらに孤立して、結果先輩後輩にえらく迷惑をかけたうえ、最後は放り投げるような形で部活をやめてしまった。

高校3年生の最後の定期演奏会まで、吹奏楽をやりぬくことができなかった。
何かをやりぬけなかったことが、こんなにも自分に禍根になるとは思わなかった。

誰かと一緒に作れるようになりたい

大学生の頃、「伝えるものをつくる」ということを職業として社会と関わりたいと思い定めた。
どんくさくて引き篭りな自分にとって、唯一社会と関われるレベル感に達しているのが「伝えるものをつくる」ことだと思ったのだ。

そのとき、痛烈に思いだしたのは高校時代の後悔だった。
誰かと何かを作れなかった後悔。自分ひとりよがりになってしまった。
今の自分には、誰かと一緒に作る力がない。

「一人ではなく、誰かと一緒に何かを作れるようになりたいんです。」
そう、web制作会社の面接で話した。
無事採用され、私の社会人生活ははじまった。

「おひるごはんにいこう」

でも、ひとりよがりなのはぜんぜんなおってなかった。
先輩への指示で「○○する」というだけの敬語もくそもない指示書をかいて、進捗状況を確認せずに帰宅するというようなディレクターだったのだ。そして、当時は別に何も考えておらず、OJTの先輩に指示されてやっと不遜だということ気づくというありさま。
そして、そんな不遜な態度をしてしまった先輩にどう謝罪し、どう接していいのかわからなかった。わからないことをわからないといわないから、また次第に孤立していった。
当時書いた日記は、こんな文章をかいていた。

自信喪失とコミュニケーション不全
今、人とうまくコミュニケーションがとれない。
というか、会社でなかなかコミュニケーションがとれない。

ずっと、どこかで空まわっているかんじ。

好きな仕事をしていてワクワクするし、
雰囲気のいい会社だし、
与えられた環境は、われながらすごく恵まれていると思う。
それに、NPO活動しているときは、
ずっとがんがん年上の人とあたりまくって、
話すのが楽しいって思ってた。
時々自分のたりなさにへこみつつも、
前を見たい、前を見たいという思いは
一度も途切れることがなかった。

でも、今、やっぱりどこかで無理していると思う。

まわりはあたりまえだけど先輩ばっかりで、
あまりに無理やり追いつこうとしている。でも追いつけない。
仕事はともかく、普通の会話でも、私はついひっこみじあんになって
なんとなく入りづらい状態だし。

新卒だから、学生気分がぬけないんですなんて
働き始めて2ヶ月たつし、甘えとかそんなこと言いたくない。

でも、本音をいうと。
どう考えたって、私はごくごくふつーの新卒学生だった。

好きな力をみにつけて、好きな道でご飯をたべれるようになって
自分は違うんだって心のどこかで思っていた。
思い上がりもいいところだった。
そんな自信なんて、1ヶ月やそこらでみごとにふっとんだ。
私は新卒一人で飄々とやってけるほど強くなかった。
同じ目線から、誰かに話をきいてもらって、
今もっている戸惑いを共感してほしいって心のそこから思ってる。

でも、会社ではそんな人はいない。
話したら結局「学生の甘え」になるし、
何言ってるんだこいつ、で終わってあたりまえと思う。
それが当然ってわかってる。
でも、いつも前をむいていなきゃいけなくて、
本当のここまでの弱音をもらせないのはしんどい。

どんどんどんどん、胸の中になんかつまっていってる。

そんな自信のなさが、体のすみにまでまわってしまっている。
仕事でも、普通の会話でも、変に萎縮してしまっている。
そんな状態。

自己中心的を極めつくし、中心という中心が自分という状態。

そんな私をみかねて、先輩は「おひるごはんにいこう」といった。
何回か一緒にお昼に行った。
でも、先輩と一緒にごはんにいくのは緊張する。仕事でぴりぴり緊張してんだから飯くらい一人で気楽にいかせてくれないとぴりぴりしすぎて感電死してしまうわこの野郎とすら思ってた。
何回か先輩とお昼にいったけど、結局のところ、私がそんな状況だったので、一緒にいくことがなくなってしまった。

でも、いくつもいくつも案件を繰り返しているうちにきづいた。
会話の量や質は、信頼につながる。
ふとした会話から仕事の話になることもあって、知らなかった進捗をしったり、プロジェクトの危機予兆を知ることもできる。
「Photoshopで今こういう作業やってて、作業めっちゃ辛いわ」というグチ話をしたら、実は秒速でできる方法があるのを知って教えてもらうこともできたこともある。
何より、一緒に仕事をする相手を知ることができる。

「なんで自分ばかり大変で成果あがらず、みんな気をかけてくれないの」
そう思っているときは、えてして会話不足で孤立していた。

あたりまえのことかもしれない。でも、引きこもってばかりの私はそんなあたりまえのことにすら、気付かなかったのだ。

誰かと一緒に、伝えるものをつくるということ

web制作会社では、結局数人の先輩の信頼はとりもどせないまま卒業することになった。その点については先輩に対し申し訳なく思っているが、今更前職について言及してもどうにもならないし、転職した今の事業会社で仕事をしてトータルで社会に貢献していければいくしかないと思う。

だから、いろんな人と私は会話していきたいと思った。
自分と同じwebディレクターはもちろんだけど、いろんな人の立場と仕事からまず入って、その人をしっていけば、もっともっとすてきな「伝えるものをつくる」ができるようになるんじゃないか。その結果、画面の向こうの誰かに素敵なものを届けることができる。

仕事は球の表面積を担うことであり、成長とはその表面積が増えること…たしかDeNAのファウンダー、南場さんはそんなことを言ってた気がする。
表面積を増やすのに、技術はもちろんだけど、誰かと心を通じ合わせていくことも同時に大事だ。
私が一番怖いのは、ある一定のところで表面積が止まって、何かが作れなくなることだ。
「伝えるものをつくる」ことが、自分の存在意義くらいに思ってる。

仕事は徐々に覚えるとして、
(っていうか好きだし楽しいから、どーせ勝手に覚えるだろう)
この変な自信のない萎縮状態から、どうにかして脱したい。
ちゃんと前をむきたい。
通じた!という人とのコミュニケーションを心から楽しみたい。
それさえも楽しめない今の自分の状況は、
どうにかして打破したいと思う。うまい方法はみつからないけど。

まあ、なんだかんだいっても社会で私は生きてかなきゃいけないし。
とーぜん会社ではきちんと、与えられた仕事を
貪欲にこなしていこうとは思います。

絶対、立ち上がってやる。
やりたいことがあるから。

でも、今この瞬間、
立ち上げる前の、自分の弱い本心をとどめておこうと思います。

新卒1年目の自分は、日記の最後にそう書いていた。

今まさに、自分が関わった新サービスがこの世にでようとしている。
デザイナー、コーダー、マーケター、エンジニア。
旅行会社の旅行事業を担当している人たち。
いろんな人たちと一緒に、何かを作ることができた。
私は、いろんな人のおかげで、立ち上がることができるようになった。
こんどは、私が誰かが立ち上がるのを見守る番だ。
後悔の塊は、そうやって人生をかけてゆっくり砕いていこうと思う。

プライベートで、私は相変わらず地味で暗くて協調性も向上心も個性も存在感も華もない人間だ。
でも、「伝えるものをつくる」ためであれば、協調性も存在感も身につけてこれた。
華だけは整形でもしないとだめだけども。

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