ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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「ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいる」ために必要なもの

『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う』
Tiffany&Co の「11/22(いい夫婦の日)」キャッチコピーだ。コピーライター、眞木準さんの作。

好きな広告コピーは数あれど、人生にここまで影響を与えたコピーはない。
結婚をし、続けていくにあたり、私は極力このスタンスを貫きたいと考えてる。

久しぶりの友人と会うたびに「結婚した後、仕事はどうする?」という話になる。
「当然働き続けるに決まってるじゃん」
私はいつも、即答。
今は夫婦二人だから当然だけど、もし子供ができても出来る限り働きつづける。

働くこと、生活できる分のお金を稼ぐことは、夫婦の人生の自由度を圧倒的に広げると思う。たとえば、夫が何か勉強しなおすため大学院にいくとしたら、私が稼いで家計を支えればいい。その逆もある。
また、自分の人生そのものにも自由がきくと思う。何か欲しいものを買いたいとかもあるけど・・・・一人で生きていくことがベターと選択したら、それを選択できる自由。極論をいえば、常に離婚できるような状態は担保しておきたいのだ。

この話をしたら、男性の知人にどんびきされたことがある。
「でも、男は支えたいと思っていると思うよ、男としてはさみしいよ」といわれた。

いっておくが、男性が、女性を「支えたい」と思うのは自由だ。でも。この雇用不安の世の中でずーーーーっと金銭的な面において一生支えなきゃいけない、っていう現実はつらいんじゃないかと思う。耐えらえる男性なんてわずかな気がしてならない。
そんな重荷を、自分の好きな人に背負わせる。そんな気に、私はどうしてもなれない。

“家族”というのは、オマエを養うためにあるんじゃなくて、夫が倒れたときのためにある。そのとき、あなたが助けるから夫婦なわけでしょ。結婚式で「病め るときも健やかなるときも」と約束するでしょ。景気の良い、金のあるときだけ結婚して、稼げなくなったらやめるのは結婚じゃないですからね。
(中略)
同等でないとね。夫婦って最後は親友にならないといけない。恋愛関係なんて、数年で終ってしまうのだから。そのあと、人生のパートナーで、親友でいるためには、同等の力が絶対に必要だと思うんですよ。
西原理恵子 「働かないという選択肢はない。今も大バクチの最中 | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉」より引用

同等の力。同等という意識。
夫婦関係において、経済的な強弱が圧倒的について、しかもその状態が継続してしまうと、どちらかの自由が失われやすい(稼ぎ手が倒れた場合等、時には両者の自由が損なわれることもある。)。同等だと主張できる人もいるかもしれないが、私はただでさえ自己評価が低いので、「金銭」という目に見えやすい価値がうみだせないとなると、「相手と同等」と主張することはできなくなってしまう。

夫婦生活なんて数十年と長いんだから、その中で家庭の経済的側面を担うバランスは変わっていっていい。
スティールパンで「パノラマ」というお祭りでひくための、10分程度ある長い曲がある。
スティールパンで主にメロディをひくのは、高音のテナーパンという種類のもの(合唱で言うとソプラノ)なんだけど。長い一曲の中では、全てのパートが一気にクロマティックで駆け上がり主旋律につなげたり、低音パートがソロになったり、高音低音がユニゾンしたり、メロディのおいかけっこをしたり・・・10分という長い時間で、バランスが自由自在に変化してゆくのだ。単調にならず、たった7-8種類の楽器が奏でてるとは思えない、圧倒的に面白い音になる。

自尊心が低い女性こそ、永続的な専業主婦になっちゃいかんと思う。
家庭の状況に応じて、経済的なバランスは変化させ、舵を握ってのりこえていくことが、自信につながる。場合によっちゃ舵を大幅にきって、夫と別々の人生を歩むこともあるかもしれない。でも、別々に歩むことがそのときベストだという意思決定なら、きっとそれは互いの幸せにつながるんじゃないだろうか。人生の意思決定を支えるのは、まぎれもなく、お金を稼ぐ力だ。

『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う』
これからも、一緒にいる、という選択をとりつづけられるように。やっぱり私は働きつづけるんだろうなあと思う。

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