「カレーを皿でまぜて食う奴とは断じて友達になれぬ」と思ってたら、よりによってカレーを混ぜて食う奴が夫になった。
結婚前には混ぜてなかった気がするのだが、ある日気づいたら夫はカレーを混ぜていた。家庭内文化摩擦のはじまりである。
これは我が家の食卓における文化摩擦と、その後三年にわたり生じた文化触変現象についての考察である。
つまり、カレーをまぜる人間vs混ぜない人間の仁義なき戦いの歴史。
「家庭内こそ異文化交流と摩擦の場」結婚してまる三年たつ中で大小さまざまな異文化を感じたが、我が家で最たる文化衝突が生じたのが「カレーを混ぜるか、混ぜないか」であった。
おりしも、私が大学時代に入ってたゼミは「人と文化の国際移動」というテーマ。国際化に伴う人や物流の移動にともなう、文化の交流や摩擦、変化について学んだため、異文化摩擦についての多少の理解がある・・・つもりだが相当怪しい。知識は怪しいが、文化触変のモデルはわかりやすいので、これを用いながら、我が家のカレーをめぐる戦いを考察する。
文化触変のモデル
旧平衡、部分的な解体の開始、伝播
Heart / mozzercork
・結婚後1年
お互いの食の好みをすりあわせる理性をもちあわせた時期。
胡椒の代わりに唐辛子を入れた「殺人カルボナーラ」を私が開発、勢いよく食べた旦那をマジ切れさせたため反省するなどの事件はあったが、相互に調整しようという意図があったため、平和な時間がすぎる。(私の劇辛指向はここである程度収まった)
新婚妻によくある「夫の好きなものを作ろうウフフ」的な思考の時期だった。
呈示、フィルター、拒絶黙殺
Heart Cake / FantasyClay
■結婚後1年〜2年
相互調整に慣れたため、気にゆるみが発生し、結婚前の習慣が一部復活。
夫がある日カレーを混ぜ始めたのだ。混ぜない派の私としては、「見た目がきたない、せっかくもりつけたものに何をする!」という心境だったが、夫は「まぜたほうが効率がいい」という言い分。議論は完全に平行線をたどる。相互に文化交流を拒否しあい、カレーをつくるたびに文化摩擦が生じた。
さらに夫はカレーどころか、麻婆豆腐丼やガパオもまぜはじめた。深まる溝。食卓は戦場と化した。
抵抗、外来要素の再解釈、部分的解体の継続
war is over if you want it / TheAlieness GiselaGiardino²³
■結婚後2年〜現在
大好きなカレーや麻婆豆腐丼などをだすたび、私が「混ぜるな」といっても、夫は混ぜ続ける。
さすがにまいどまいど食卓が戦場になることはさけたいので、まずは私から停戦の落としどころを探るようになる。
落としどころを検討するのには、多変量解析の実施が有効だった。
(1)料理の盛りつけ
美しければ混ぜるのにも躊躇するだろうという仮説に基づいた、盛りつけを美しくする施策。
ねぎ、胡麻、三つ葉、千切り唐辛子、木の芽、パクチーなどの彩りをいれる
高さをだすなだとにかく盛り合わせを美しくゴージャスにする
目玉焼きや温泉卵を添える など。
(2)具の内容
具の内容によってはまぜない規則性があるだろうという仮説。
・キーマカレー
・ガパオ飯
・麻婆豆腐丼
・普通のカレー
・親子丼
・麻婆茄子丼
・タイカレー
での検証を実施した。
(3)皿の内容
平皿、丼、洋食器、和食器など内容によってはまぜない規則性があるだろうという仮説。
実施した結果の考察。
・料理の盛りつけは、混ぜる/混ぜないに関係はない。むしろ混ぜる心を刺激する物となりえる。
どんなに美しくつくっても、効率よく食べたいという観念の人間には伝わらなかった。
むしろ、温泉卵、半熟の目玉焼きについては、「混ぜたい」心を刺激し、かえって混ぜさせるという悲劇的な結果となった。
・具の内容は混ぜる/混ぜない に大きな影響を与える。
具がでかいほど、まぜる率は減る。夫は「キーマカレー、ガパオ飯、麻婆豆腐丼、普通のカレー」は混ぜるが、「親子丼」「麻婆茄子丼」「タイカレー」は混ぜなかった。「親子丼」は卵が連なってるため、「麻婆茄子丼」「タイカレー」は、いずれも具に巨大な茄子が入っているため、混ぜたい心を阻害する要因となっていたようだ。特にタイカレーは、一口大以上の鶏肉、長さ5cm以上のパプリカなど、混ぜづらい要素が大量。そういえばカレーの中でも夫はタイカレーだけは混ぜてなかった。
・皿の内容は混ぜる/混ぜないに多少の影響を及ぼす。
石焼きの石にもりつけたら最後、100%の確率で何でもまぜることがわかった。また、深さのある器(丼とか)だと、普通に食べていると全体均一化しづらく白米だけが残りがちとなるためか、混ぜたい心を刺激することがわかった。平皿だと、食べるスピードで米と具のバランスを調整できるため、混ぜたい心は少し落ち着くように見えた。
再構成、新平衡
required existence mutually / suneko
以上の多変量解析の結果から、私は停戦のための以下施策を実施した。ポイントは、相手の混ぜたい心を抑止する点である。
・具は一口以上のものを丼に用いる。
カレーでもキーマカレーは避け、タイカレーとする。ガパオ飯も、ひき肉でなく、豚バラこまぎれの肉を使う。
また、温泉卵のような、まぜたい心を促す具材は使わない。
・一口以下が生じる具のときには以下の工夫をする。
麻婆豆腐を食べたいときは丼にせず別もりする。もしくは私一人のときに食べる。
・皿は極力平皿に近いものとする。
・カレーは作らない。
カレーうどんか、カレー鍋にする。
これらの施策実施にともない、カレーを混ぜる現象はほぼ0となり、私もぶち切れずにすみ、食卓に平和が戻った。
カレーを混ぜたい文化と、混ぜたくない文化はあいかわらず存在しているが、新平衡の道を見いだすこととなり、3年にもわたるカレーを混ぜるか混ぜないか文化摩擦は停戦となったのである。めでたい。
文化摩擦が生じたとき、お互いの文化にいちゃもんつけ合ってどっちかをつぶそうとするのは愚策。
直接相手の文化をつぶすよりは、新平衡目指して「相手がどうしてその文化を保っているか」「どういうときにその文化にもとづいた行動をするか」を理解し、共存の対策をしたほうが家庭運営においてははるかに効率的だと思う。
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・・・と平和的に文章しめようと思ったら、ガスコンロから緊急停止のアラートが。見てみたら、みそ汁を火にかけっぱなしで、お鍋が黒こげになっていた。
酔っぱらい夫が(私が作った)みそ汁を火にかけて、食べた後放置して寝てたようだ。どうすんだこれ。くせえ。しかも酔っぱらい起きないし。
仕方ないので、明日の朝、汚れ落ちるまで相当時間磨かせるか、鍋買わせることにした。このあほたれが。鍋の存在を思い知るがいい。
カレーの次は酔っぱらい対策が必要だ。まあこんな風に家庭内には文化摩擦はつきないが、概ねうまくやってると思う。多分。
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