2/9現在、amazonのweb開発カテゴリで一位になってる「メンタルモデル ユーザーへの共感から生まれるUXデザイン戦略」。二月頭に入手してから、ようやく内容をざーーっと理解できる程度に読み込みました。
するめのように噛めば噛むほど味がでてくる本。
2回くらいぶっ通しで読んだだけで感想を述べるのはおこがましいとは思うのだけど。ぜひいろんな方に手にとってほしいなあと思い感想を書くことにしました。
ユーザー理解とサービスデザインの根本となる「メンタルモデル」づくり
メンタルモデルとは何か
「メンタルモデル」とは、『調査対象者の行動・行動の根本にある動機』と『対象者の行動に合わせた様々な支援方法』を照らし合わせた図だ。
たとえば、朝のメンタルモデルの一部は以下のようなもの。
※引用元:「メンタルモデル ユーザーへの共感から生まれるUXデザイン戦略」P4
このメンタルモデルは、
- 対象者へ行動についてヒアリング
- ヒアリングした行動内容をパターン化する
- パターン化した行動内容を、近しい心理グループごとにまとめる
- 行動内容にそって、コンテンツ(対象者の支援方法)を考える
という流れにそって作られるもの。
この流れだけ読むと、デザインに関わる人々にとって、決して目新しい手法ではないとは思う。
ユーザー像を捻じ曲げないために
サービスや製品をデザインしていく手法としては、たとえば『ペルソナ法』があげられる。
サービスを使うモデルとなる具体的な人=ペルソナを定義し、その人が使いたいサービスを作る、という手法だ。
しかし、えてしてペルソナはサービス開発段階でいつのまにか忘れ去られる。
開発が進むごとに、プロジェクトの中のビジネス部門、デザイナー、エンジニア、カスタマーサポート、さまざまな人が自分の部署の視点からみたペルソナ像を投影させていく結果、ペルソナ像がよくわからなくなってくる(ゴムのユーザー化する)からだ。
ペルソナが残っていればまだいいほうで、たいていのプロジェクトにおいてペルソナそのものが忘れ去られる。
チームの力を、ユーザーの問題解決をするものづくりに繋げるために
また、この世に生み出される製品やサービスは、作る側の都合主導ということもとても多い。既存の自社リソースの強みである、機能と機能をかけあわせてみる、とか。
作る側の都合主導、というのはビジネスするにあたり致し方ない部分だと私は思ってる。でも、それにしても!せっかく作るなら、ユーザーの何かしらの問題解決になるものを作りたい。
自分の力、チームのみんなの力、ユーザーのためにもビジネスにもなる最適な方向へ使いたいと思うのだ。
ユーザーへ深く共感し、そこから製品・サービスのコンセプト立案へうまく橋渡しするための確立された手法は今まで存在しなかった。それを職人芸的にやり遂げるごく一部のリサーチャーやデザイナーがいたのみである。
「メンタルモデル ユーザーへの共感から生まれるUXデザイン戦略」
きっと、製品・サービスのコンセプト立案へうまく橋渡しするための手法は、ごく一部の職人的な人たちの頭脳の中にたくさんあるんだと思う。
本書がステキでいろんな人に読んでほしいと思ったのは、そんな一部の人たちの頭の中にある具体的手法・その意図するところをのせている点、しかもそれがチームで進められるよう考慮されている点だ。
一人でなく、会社でプロジェクト形式でものを作る以上、チームでの合意形成は成果物のクオリティに大きく影響する。
チームのメンバー皆が「このユーザーの、この行動をサポートするためのものを作ろう!自社のビジネスとしても価値がある」と信じられるようになるのが理想だけど。
机上の会議だと皆が皆自分に都合のいいユーザー像前提で議論しはじめちゃうから、合意形成なんてどだい無理だ。
本書では、チームでインタビュー対象者の選定から、インタビュー、課題抽出、メンタルモデルの作成まで、ワークショップ的に進める手法が掲載されている。
ワークショップの要点は以下5点。
・ワークショップに先生はいない
・お客さんでいることはできない
・初めから決まった答えなどない
・頭が動き、身体も動く
・交流と笑いがある
ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)中野民夫著
つまるところ、ワークショップ的な進め方はチームみんなの頭と体を楽しく使って、何かを作る手法なのだ。
もちろん、ワークショップ的手法をとったはいいが「ワークショップで楽しくて何か学びがあったような気がするけど、業務に生かせない」という、ぐだぐだな流れになることもある。その点、本書では業務にどう生かしていくべきか、という点も記載している点が興味深かった。
きっと作者は、手法を実践したはいいけど、どこかでぐだぐだになったチームをみてきたんだろうなあと思った。
ふつうの平社員でも、できるとこからはじめてみようと勇気づけられる
UXデザインの手法が根付いてない企業だと、ユーザーインタビューをすることじたいそもそも障壁が高い。
ユーザーインタビューをするのが大事そう、と思われていても、リクルーティングから実施まで担当者の労力、金銭的な負担も考えると、実施するメリットがどの程度あるのかが可視化されづらいのだ。
正直いって、UXデザインの手法を会社として進めるためには、デザインの価値を認めたトップ(もしくは社内で相応の力をもつ人)が旗をふることが必須条件だと私は思っている。
でも、担当者ベースで何もできないか、というとそれはNO。
【もしあなたに影響力がなかったら】
この手法を説得してまわることはできないかもしれません。それは大変にストレスのたまる役回りであり、私としても同情を感じます。ですが、あきらめないでください。ラフなメンタルモデルであれば一人でくみ上げることができます。行動をグループ化し、タワーとメンタルスペースにレイアウトしていくだけです。今まで積み重ねてきた、ユーザーについて知っていることをベースにしてください。そして、顧客の視点から行動を書いていきましょう。
最終的には30~40%くらいまで完成したメンタルモデルができあがっていることでしょう。それをたたき台としてください。そして、まわりの人たちをまきこんで、さらに続きの調査をするように説得してまわってください。
「メンタルモデル ユーザーへの共感から生まれるUXデザイン戦略」
社内で少しずつ人をまきこんでいく、人はまきこめるんだ、ということを本書では繰り返し説いている。
メンタルモデルを作るプロセスは、会社において一人で完成させることに意味はない。皆を巻き込み一緒につくっていくことで、会社の戦略として位置付けて実施していくことに価値がある。
まずは自分からでもはじめよう。そう思うデザイナーのみんなに、きっと本書はよいガイドになってくれると思うのだ。
チームのメンバーが本気で、そのユーザーの問題解決にコミットする強さ
メンタルモデルがなくても成功しているプロジェクト
正直にいうと。このようなメンタルモデルの手法を用いなくても、成功しているプロジェクトの事例を私はいくつも知っている。
たとえば、NGOゆいまーるの照屋さん。
NGOゆいまーるは、モンゴルのマンホールチルドレンの自立支援を行う団体だ。その代表である照屋さんは、学生時代からモンゴルのマンホールチルドレンに何度も会いにいって、現場の問題意識を肌で感じて「なんとかせねば」と、活動を立ち上げた。
大学2年の時に、NGOの活動に同行してモンゴルの孤児院『太陽の子ども達』を訪れた。
モンゴルへ向かう旅の途中、照屋は高校時代の勉強会を思い出し、荒んだ世界を想像していた。しかし、いざ孤児院を訪れてみると、照屋を迎えてくれた子ども達は予想外に「普通」だった。
明るく、人懐っこくて、言葉が通じないにもかかわらずたくさん話かけてきてくれた。
みんな照屋の手を握りキスをしてきた。モンゴル滞在中は、押し花をして遊んだり、牛をおっかけたり、満天の星空の下で歌を歌って遊んだ。
別れる前日、特に仲の良かった子ども達に生い立ちを聞いてみることにした。子ども達は語ってくれた。物心ついた時から一人で路上生活をしていたこと。
両親が亡くなり遊牧民の家で奴隷のように働かされていたこと。
片親がいるが半年前に孤児院に預けたまま行方がわからないこと。子ども達は語ってくれた。衝撃だった。
彼らはみな、その笑顔からは想像もできない過去を背負っていた。
ユイマール設立まで
彼女のモチベーションの高さは、モンゴルのマンホールチルドレンの問題を「自分ごと」としてとらえていることに他ならない。
私は同じゼミの同窓生として、私は彼女が活動を立ち上げていくところをみていた。自分ごととして社会問題をとらえて問題解決にとりくんでいく姿に、多くのメンバーがひきつけられていった。
熱意にひきつけられたのはもちろんある。けど、その裏にある、モンゴルの貧困の連鎖についての研究と、それに対する具体的なサポート案(孤児院卒業生の大学進学)は、現実味があった。
貧困問題というと話がでかすぎてどうしていいかみんなわからない。「モンゴルの孤児院卒業生の大学進学を支援する」という問題に対する一点突破&皆がイメージできる施策をだせたことが、この活動の成功の要因なのではないかなと思う。
ただ、問題を自分ごとにとらえて、研究していける人はごくわずかだ。
私自身、NGO職員になりたくて大学受験をし、政治経済学部政治学科に入ってNGO活動に携わってきたものの。問題を自分ごとにとらえて次々と活動を生み出していく方々を前に、「これは自分ではできない」と痛感した。
メンタルモデルをチームで作る意味
メンタルモデルを作る意味は、
・「チームの皆で」
・「ユーザーの行動・思考の状況を余すところなく知る」
・「ユーザーの問題を自分ごとにしてとらえる」
・「ユーザーの問題をサポートする案を、現実可能な方法一点突破で考える」
ことにある。
問題を自分ごとにとらえてアクションしている人たちの状況を、自分たちのチームでも再現するためだ。
ユーザーの行動や思考を、自分ごととしてとらえるのは、ほんっとに難しい。
でも、決して一部の人にしかできないというものではないと思う。
サービスや製品をうみだす時のみならず。社会の問題も、メンタルモデルの手法で考えていけると思う。
同じ地域に住む人々、問題について関心をもっている人々が問題に主体的に関わっていくようになることで、新しい公共を作っていけるのではないだろうか。
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