ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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第16回情報デザインフォーラム 『「つくる」を「つくる」』に参加してきた

img_150430第16回情報デザインフォーラム 『「つくる」を「つくる」』 に参加してきました。
最近は自分が学びたいテーマのイベントの多くでグラフィックレコーディングをする機会をいただくことが増え、非常にありがたいなーと思っています。

特に今回気になってたのはこのへん。

Design Sprint や LeanUX によって「早くつくる」ことがひとり歩きしてしまっておりますが、それによって軽視されるユーザー視点の導入の重要性を改めて再確認し、ディスカッションに繋げられればと思っています。
第16回情報デザインフォーラムより引用

「早くつくる」は悪いことでは決してないけど。
その中でも決して忘れてはいけない、のこすべきエッセンスはなんだろう?というお話でした。

坂田一倫さん「Lean UXのCPS仮説検証モデル」

まずはコンセント坂田さんの講演「Lean UXのCPS仮説検証モデル」。

C-P-S Fit in LEAN UX Design(LEAN UXデザインにおけるCPS仮説検証モデル) from Kazumichi Mario Sakata

※以下講演のグラフィックレコーディング。上:私 下:常葉大グループ
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「すべてのプロダクトやサービスは決して完成品ではなく、仮説検証・実験だ。思いこみや仮説は、その実験を現場で早期実行するのを促す。」という坂田さんのスタンスは、サービスに関わっていると嫌というほど実感します。
リリースするのはおわりではなく、スタートでしかない。

LEAN UXのBuild-Measure-Learnのサイクルを見ると、えてしてこう思う人が多いと思うのです。

  • エンジニア・デザイナー:「まず形を作る(Build)のが必要!とにかく作ろう!」
  • HCD(人間中心設計)思考の人:「まず調査(Measure)からやらないと!エスノグラフィ、インタビューするぞー」

でも、まず考えるべきなのは「今、自分たちはユーザーのために何を学びたいか(Learn)」
「ユーザーのため何を学びたいか(Learn)」をブレイクダウンして考える問いとして、CPS検証モデル(Custmer、Problem、Solution)があるのだと理解しました。

CPS検証モデルの問いを網羅するにあたり、坂田さんが例として挙げていたのが、Experiment BoardExperience CanvasValue Proposition Canvas等のフレームワーク。
こういう思考のテンプレートがあると、考えやすくてすてき!とっつきやすい!と思えます。

でも、この思考のテンプレートって、テンプレート自体に価値があるというよりも。
フレームワークを体はって実践すること、そのフレームワークでできなかったことも同時に考えるという『あり方』そのものこそ、価値なのだと感じました。
「LEAN UXはやり方ではない。あり方だ。」という坂田さんの言葉は、それを象徴しているのではないでしょうか。

馬田隆明さん 「Design Sprint 概要」

次は馬田さんの講演「Design Sprint 概要」。

※以下講演のグラフィックレコーディング。上:私 下:常葉大グループ
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おもしろかったのが、デザインスプリントがなぜスタートアップの文脈で語られてきたか、という点でした。
サービスつくってリリースしてまた評価してインタビューして…ってやってると、1年以上かかってそのあいだに資金足りなくなる=スタートアップつづけられなくなる恐れもある…「だとしたら既存の大企業が手をだせないような、よいアイディアを早くだして合意形成して、早く検証しよう!」という思想でデザインスプリントはうみだされた手法なのです。

馬田さんもおっしゃっていましたが。
「適切な粒度の問いでないと扱えない」というのはまさにその思想ゆえなんだろうな、と思います。
ある程度の規模のある企業で、ブランディングの検証をするのは大きすぎるし、逆に現場レベルでのグロースハック的なUIテストとかは小さすぎてむいていない。
利用状況は「既存の大企業が手をだせないような、よいアイディアを早くだして合意形成して、早く検証しよう!」。

また、大事なのは「1回やってみること、やってみてできなかったことをふりかえること」というのが印象的でした。
1回デザインスプリントを回してみると、自分の組織ではできなかった部分が可視化されるそう。
そのできなかった部分をまたどうするか考えてアレンジしていったり、次につないでいくのが肝なのです。

これって、デザインスプリントという手法にガチガチにとらわれすぎなくてもいいのかな、と思います。
デザインスプリントは、あくまで「よいアイディアを早くだして合意形成して、早く検証」するためのツールの一つでしかなく。
多少形をくずしてでも、「よいアイディアを早くだして合意形成して、早く検証」して、学びを継続的に行える手法があるならどんどん取り入れていってよいのではないでしょうか。(まあこの目的をふまえない崩し方はだめですが。笑)
これが馬田さんがおっしゃってた『文化にあわせた学ぶプロセス』なのかなーと私は考えています。

デザインスプリントのフローに際しては、以下のスライドが詳しいのでぜひ見ることをおすすめします。
あと、ワークショップ(第9回WebUX研究会 デザインスプリントWS)も5/23(土)に実施されるそうなので、気になる方はぜひ。

Design Sprint Process / デザインスプリントの実際のプロセスについて from Takaaki Umada

ディスカッション「サービス開発を取り巻く様々な「つくる」を考える」

※以下講演のグラフィックレコーディング。上:私 中・下:常葉大グループ
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坂田さん・馬田さんの講演でたびたびでてきたのが「学び」というキーワードでした。
Gaji-Laboの山岸さんの指摘でおもしろかったのが、「何かをつくる際に、つくるために学ぶことにも、ものづくりそのものにも一致するサイクルがある」という点。
このサイクルのスタート地点って、「サービスをユーザーに体験してもらうために、私たちは何を学べばいいのか?」という問いなのです。
学ぶことから、全てが始まる。

この学ぶ姿勢を頭のみならず体にたたきこむのには、LEAN UXのCPS仮説検証モデルとか、デザインスプリントがあります。
多くの人が『早さ』に注目してしまうくらい、フレームワークはキャッチーでわかりやすいのだと思います。
ただ、その半面、その表層ばかりみてると大事なものをすこーーーーーんと見逃す危険もはらんでいます。
また、内面をみるに至っても、自分がうまく再現できなかったときのようなパターンの取り扱いも難しいところ。

大事なのは、そのフレームワークの真髄である『ユーザー体験のための学びを早期に行う』こと。
そして学びで得られなかったことを恐れずに可視化し、次の作戦をねって『続けていくこと』なんだろうな、と改めてディスカッションをきいてて感じました。

学び続ける姿勢の大事さ。
そこそこの規模のある既存の組織内においては、はじめることは泥沼の中で一歩を踏み出すがごとく難しいし、泥沼の中を歩き続けること・そして人をまきこんで一緒に歩いていくことは相応に難易度が高い―――そう痛感します。
それでも、踏み出す脚力=信頼貯金があるのが三十路UXデザイナーの特徴だとも思います。
デザインの力を組織により活かしていくには、この学びの一歩をふみだして、歩き続ける覚悟がいる。
今歩かずして、いつ歩くのだろう。

自分の歩く力、メンバーの歩く力を信じて進もうと思いました。

情報デザインフォーラムメンバーのLT

img_04LT

印象的だったのは、浅野先生のLT。

「違う世界をみようとする、かきかえる=学ぶこと。
学ぶのはインプットふやすことじゃなく、アウトプットすること。
みんながそこにいってあーだこーだやってるとつっこまれてインプットになる。

「大人はアウトプットしなくなる。
常にアウトプットしてかきかえる。
必殺技すてないと成長しない。覚えたら捨てろ。
やりつづけてると成長には限界がくる。」

「この覚えたら捨てる、を繰り返していると、『どっからでもかかってこい』状態になる。

ユーザーの体験のために学ぶ、というフローにおいて、必ずアウトプット(可視化)をして発想し、ブラッシュアップしていくのが大事だということを、私は産技大でこれでもか!ってくらい学びました。
馬田さんのいう「ものの見方をたくさんだす。ベストプラクティスをその中から選ぶ。それを共有して共通認識が生まれ、コミュニケーションがうまれる。」という学びのプロセスの価値。
入れるためには、まず出すことが必要なのです。

私がイベントに登壇するのも、グラフィックレコーディング描くのも、その後ブログで言語化するのも、まさにこの学びのプロセスで一番効率がいい手法だからに他なりません。
イベントにでる中で、コスト対効果で一番割がいいのは、登壇者かグラフィックレコーダーじゃないかと思ってるくらいです。
自分にとっては必殺技。

でも、この必殺技のみに頼り続けてると、いつか先が細るなと言うのも目に見えています。
懇親会で「グラフィックレコーディングが、グラフィックの美しさに注目があつまりすぎたら、今のグラフィックデザイン業界のように先細りになるのでは?」という話もでており、本当にそのとおりだと感じています。
確実に喜んでもらえる情報デザイン系イベントや現場で、色々かいて後でシェアしやすくする、というのだけではやっぱり厳しい。先細りするだけ。

次にいかすべき場所は、もう少し情報デザインにとらわれない範囲(多分コミュニティデザインとか、他の文脈での企業社会活動等)だと考えています。
同時に、その場所に行くには、自分が鍛えなきゃいけない『違う世界をみようとする、かきかえる』部分もあるのです。
エスノグラフィ=目に見えないその場所でのルールを見つける というのが苦手という点。
アウェイな場所では頭真っ白になってしまうし、文脈を共有できてない相手と会話すると自分の文脈おしつけて会話かみあわずちぐはぐになってしまいます。
つまりコミュ障。
三十路過ぎてほっておいたところ、やっぱり手をつけないとだめだよなーアハハハ、と改めて感じました。

あともう一点、「必殺技を捨てる」についても反芻しつづけた結果。
必殺技を捨てる、というのは「必殺技に執着しない」という理解をするに至りました。
こうして覚えたものは自分の中でたまっていくし、まったく技として使わないというのも変な話なので。
必殺技一本に固執せず、柔軟に使いどころがあるときに使えばいいのかなーと。

こうして柔軟に使える技が増えると「どこからでもかかってこい」=「ちはやふる」の状態になる。

私がイメージしやすいと思ったのは、“千早振る”と“荒ぶる”を対(つい)で考える説です。
両方とも神の力をあらわしているんですが、“荒ぶる”が悪い神の力なら“千早振る”は正しい神の力です。
どちらも勢いの強さをあらわすものの、その性質は全く違います。
“荒ぶる”はバランスの悪いぐらぐらな回転だとするなら“千早振る”は高速回転するまっすぐな軸のコマ。
なにが触れてもはじきかえされる安定した世界で、まるで止まっているかのように見えながら前後左右上下、どこにも偏りなく力が集中している状態。
ちはやふる 11巻より引用

三十路こえたって学んでいくことはたくさんあるし、学びは加速しないと若い人のパワーに圧倒されてしまう。
まだまだ自分にやることがあるって、こんなにもひりひりして楽しいことなんだ!と思わずにはいられません。

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