ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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裸になって、助けて、助けられての繰り返し

img_150726「バディを信頼しているか?」

先日、Devlove関西でのグラフィックレコーディングワークショップが終わった後の恒例・感想戦。
Devlove中村さんと、一緒にワークショップを進めてた増山さん、アドバイザー三澤さんとそんな話になった。

バディという言葉は、映画『海猿』できいたことがある人もいると思う。
時に死と隣り合わせという職務上、潜水士が二人一組で常に行動しあうパートナーという意味。

ワークショップ感想戦

ワークショップの感想戦やってると面白いのが、ファシリテーターの性格がもろに見えるという点。
自分をさらけ出し、裸になるようなものだ。

例えば感想戦ででた話は以下。

  • 「話が長い」「理屈ぽい」「新人教育ぽい」:
    自分では話が下手でコミュ力なくて即興苦手だからこそ、論理展開緻密につめて、丁寧に話さないといけないと考えている。
    家庭教師・塾講師のバイト、各種プレゼンにおいて大体成功パターンとして積み上げてきた成功体験から離れられてない感。
  • 「わからない、という空気を無視してしまう」:
    相手がわからない、もやっとしてたら、さらに説明をしてしまう。
    「もっとかみ砕いてちゃんと話さなきゃ伝わらない」という思いこみ。

つきつめると、自分の理論通りに進めよう、徹底しよう、という感じ。
あーもうもうもう。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。

運よく成功する時もあるけれど、「わからない」「なんかもやっとする、違う気がする」という空気になったときの立て直しがすごく苦手なのだ。

別にそれはワークショップに限らず、会社の教育でも同じで。
この立て直し、どうやっていいのか私はわからなかった。

自分一人の弱みは、一人で乗り越えるべきもの、ファシリテーターとして自分一人がどうにかするものだと思ってた。
だから超えられないときには、「やっぱりだめなんだ」と途方にくれてしまう。

途方にくれた結果、「こんなに丁寧に説明してるのに、なんで理解できないのかが理解できない。自分はこんだけやったんだから、もう仕方ない。」と相手を切り捨てることさえもある。
人と完全に通じあうなんてどうせできっこないし。
通じ合う人とだけ通じ合えばいいや。

そう思って切り捨てて「これでいいんだ」と思う反面。
何か表層的なものしかとらえられてない恐怖に蝕まれるようになった。

バディと一緒にやる意味

「そういうときはバディと一緒に立ち位置を確認するといい」
三澤さん、中村さんが口をそろえていってくれた。
それってあたりまえだよね、という二人の口調そのものが、私にとって目から鱗だった。

たてなおすための作戦って、バディとつくればいいんだ。
「自分はここが弱いから、一緒に何かいいものをつくる時にこうしてほしい」っていっていいんだ。
評価を細かくいれて、途中で転換するのはありなんだ。

ああ、頼っていいんだ。
助けて、っていっていいんだ。

そう思って周囲を見回すと、頼れる人ばっかだった。
自分一人じゃできなかったところに、一緒ならいけそうな気がする。

いろんなものかなぐり捨てて、裸になって、助けて、助けられて。
そのくらい気持ちも体も投げだせるのって、家族くらいじゃないかなと思ってた。
その繰り返しをできる関係性こそが、みんなを新たな遠いところにつれていってくれるのかもしれない。

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