webディレクターの阿呆な研究

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「伝えるものづくり」じゃない、「溢れだすものづくり」へ

img_151022最近、人生の目指す方向が、がらっと変わった。
「伝えるものづくり」じゃない、「溢れだすものづくり」へ。

生きることはつくることに他ならない。
「ああ、これからずっともっと創れるなあ」て気づけたのが、今はただただ有難いなと思う。

10年間自分をささえた「伝えるものをつくる」という言葉

誰かのために、仲間と一緒に、伝えるものをつくる。
これが、今の私の考えた『天職』。
それはデザイナーでも、ディレクターでも変わらないと思う。
(2004年自分のブログより引用)

11年前、就職活動を前にして、大幅に方向転換した。
NGO職員になりたかったこととか、周囲の人たちが羨む大企業につとめることとか、「迷うけどなんか違う」というものをそぎ取った結果。
「伝えるものをつくる」という言葉だけが、私に残った。
この言葉をほりだした瞬間「全てが繋がった」と思った。
それから1o年間以上、自分を支え続けた。人生の舵だった。

だけど何か違うな、と最近ずっともやもやしていたのだ。
人と一緒に、そこそこ成果もでて納得感ある「伝えるものをつくる」ことができるようになったんだけど。
反面自分の進行が予定調和ばかりで、プロセスに対してのワクワク感がなくなってきてしまったのだ。
10年あれだけ自分を支えていた言葉の輝きが今はなく、次にどこにいけばいいのかが見えない。
航海しようにも、目的地がない。

「伝えるものづくり」から「溢れるだすものづくり」

そんな中。
一緒にワークショップ設計・進行をしている友達と話してて、ふと「おもしろいよ」とすすめてもらったのが『かかわり方の学び方』
見えているゴール(予定調和的でもある)を目指すあり方ではなく、違うあり方ってなんなんだろう?というもやもやを抱えながら読み始めた。

『かかわり方の学び方』では、様々なワークショップとファシリテーションの現場にたつ人々の『あり方』がインタビュー形式でうきぼりにされている。
中でも、私が印象的だったのは青木将幸氏、野村誠氏、中野民夫氏のインタビューだった。

それまで僕たちは、集まってくる人たちに「こんなことを伝えたい」「こんな知識を共有したい」という気持ちでトレーニングをしていた。
けど加藤さんは、集まってきたみんながそのテーマについてどんな思いを抱いていて、どうしたいのかが大事なんだと言う。参加者はそれぞれの実体験を持っているのだから、そこから始めればいいんだと。
そして、「その場で生まれるものがワークショップですよ」と僕に話してくれた。
『かかわり方の学び方』 青木将幸さんに良い会議の話をきく より

すでに見えている場所へ行くのは面白くないです。90分あればだれでもそこに到達できる、と最初からわかっていたところにしかいけないのは、大変面白くない。出発点からまったく見えないところへ行くのが面白い。
『かかわり方の学び方』 野村誠さんに一緒に遊び・つくることについてきく より

(どういう時に「うまくいった」と思いますか、という質問に対し)
参加者の中に新しい気付きや学びがあって、それをめいめいがうまく表現していて、相互作用があり、場がひらかれていて、高まったり熱くなったりしている時かな…。
『かかわり方の学び方』 中野民夫さんはそこで何をしているのか? より

予定調和でない、何がでてくるか分からないものが産まれる。
現場は違えど、そんな場をうみだす関わり方にとても心ひかれたのだ。
では、そんな関わり方って、どんなあり方なのだろう?

2002年からの3年間、西田真哉さんや中野民夫さんらと形にした全国教育系ワークショップフォーラムの第一回の副題が「教える」から「引き出す」へ、だった。
教科教育に象徴される知識注入型の”教える”姿勢から、その人の中にあるものをどう”引き出す”かという関わり方への移行を指して書かれたコピーだったが、ゲストとして来た伊勢達郎さんは見た瞬間に「教える」から「溢れだす」へ、じゃない?と言った。「引き出すって恣意的だよね」と。
『かかわり方の学び方』 パーソン・センタード・アプローチ より

「教える」から「溢れだす」。
私でいうなら、「伝えるものづくり」から「溢れだすものづくり」だなと思った。
何がでてくるのかわからないものを産むために必要なのは、溢れんばかりの参加者の頭の中とか気持ちだ。
そしてその溢れるプロセスをつくるのが、自分のあり方だと。
ディレクターとかファシリテーターとかグラフィックレコーダーとか、なんかいろいろ役はあるけど、全部一緒なのだ。

「溢れだす」ために現場をみつめなおす

じゃあ「溢れだす」をつくるためにはどうすればいいんだろう?
そんな問いから、自分のものづくりの現場をみると、世界が違う色彩を帯びてみえた。

  • デザインの現場:
    チームメンバーに手法・正しさを教えようとしてきてた。けど、大事なのはどんな手法や正しさの尺度を活かすための『問い』だった。私の仕事は適切なサイズの『問い』を投げることであり、手法も正しさも必要だと溢れたときに伝えればいい。
  • ワークショップ設計の現場:
    「どうやればこれが伝わって、よく教えることができる?」という視点ではなく。「この場からどうすれば、みんなの頭の中とか気持ちを溢れるようにする働きかけができるかな?」と考えるようになった。溢れること第一にした結果、一緒にワークを進めるメンバーに相談がずっとしやすくなった。
  • グラフィックレコーディングの現場:
    ワークショップの進行等で描く場合、「ファシリテーターはどんな風に参加者から溢れたらいいなと思ってる?」を常に考えて描くようになった。場合によってはファシリテーターの言葉を削ってでも、参加者から溢れたものが大事で、描くべきものでもあることが、往々にしてあるため。

まだまだ私はファシリテーターとして未熟で、「溢れだす」に全然到達できてないし、その前に自分の進行にとまどってあわあわすることも多いのだけど。
それでも、「溢れるだすものづくり」という新たな北極星が見えたことで、自分がつくる=生きるパワーがでてきたなーと思う。

その北極星へ向かう際、人をみるまなざしがとても大事だなとも思った。
中でも、ガオリュウさん(高柳謙さん)が企画されているファシリテーターズ・インタビューでお話を伺った、佐々木薫さんの『場』へのまなざしが、今の私にとって影響を及ぼしている。

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齊藤さんの『場』へのまなざしは『花開く・何かうまれるんだという信頼=参加者への全面的な信頼』で成り立っている。
私はバディともよべるくらい信頼できる相手は数人のぞいては、人を全面的には信頼できないし(ましてや議論をクラッシュするような人を信頼なんて絶対無理…)、それ以上にぐらぐら揺れてる自分を信頼なんてできっこない。
でも、人と人とか集う『場』は、信頼できるなあと思った。
複数の人がいること自体、それだけで予定調和では決してない「溢れだす」可能性を秘めているのだ。

新たな北極星をみつけたことで、もしかしたら今いる場所が最適の場所、というのがいつかなくなって、移動することがあるのかもしれないけど。
私は、今私がいる場所が、とても好きだ。

今の会社の『場』にいて一緒につくっていこうとしてくれてるチームの人たちや、一緒にワークショップをつくっているグラグリッドの三澤さん&友達(バディと私は思ってる)のことが好き。
憧れてるし、この人たちに認められたいと思う。
その思いのパワーで、今私は北極星にむかって船をこいでいる。

終わりの、そしてはじまりの一漕ぎ。
出発点の今から前に進み、まったく見えないところに行くために一番大事なパワーは、今ここの、人と人とのかかわりの中にこそ存在するのだと思う。

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