ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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勉強できない自分が、勉強できるできない超えて、とにかく学びたい時のノートの書き方

imgm_151028ノートの取り方が話題になっている。
勉強ができる人とできない人の、ノートの取り方における決定的な違いについて
多分勉強ができていた私は、具体的にどうやってノートを書いていたか
このあたり読んだ。で、思ったこと。

勉強できる人=ノートの情報編集をやってる人ではなかった気がする。
感覚値でしかないんだけど。偏差値60台までは美しくノートをとっている人は多かったけど、東大にいくレベルで偏差値70台以上の人はノートぽいものとってなくてもできていた。
ひとつの何かから一気に記憶する力、思考していく能力ともに相当高い『できる人』。

『不倒城』の人は、まさに『できる人』のように思う。
こういう人はひとつの何かから一気に色々正しく思い出せるから、「明日の自分は今日の自分とつながっている」と信じられてるのではないか。

・逆に私は「明日の自分は全くの赤の他人。」
100言われるとと明日には99忘れる。内部記憶メモリが10年以上前のPC状態。
すがすがしいほどの残念ぷり。
だから何かを心から学びたいと思ったら、内部記憶メモリがない以上、明日の自分=他人にむけたものを残しておく(外付けハードディスク)の存在が必須だったのだ。
明日の自分=他人にむけたもの=情報編集をしっかりやったものを残す。
それが私にとってのノートの存在。

外付けハードディスクとしてのノート中心主義 ~世界史受験のノートより~

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私が外付けハードディスク的にノートをとったきっかけは、世界史受験の勉強だった。
高校二年の最後あたりで国公立理系→私立文系(でも国公立文系もうける)に転向したため、文系の人からおくれをとって世界史勉強をはじめたところ。
記憶能力ぱーぷりんのため、偏差値は50台上をふらふら。
高校二年最後の模試では、偏差値40台をだして予備校の世界史のクラスも基礎クラスにお引っ越し。

でも、これがすごくよかった。基礎クラスの先生の指導方法がハマりにハマったのだ。
世界史のストーリーを読み解くのが楽しくて仕方なくて、夏頃までに一気に偏差値70超えを果たすに至った。
先生の指導方法は、ノート中心主義。

授業プリントを全ての母艦にする

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ルールは簡単。
・一回につき先生お手製B4プリント二枚分進む。(A4にはると見開き2枚)
・まずはプリントをノートにはり、余白に追記事項をかく
・授業後一週間で二枚分見返す
・模試とか学校のテストで間違えたらノートに追加していく。

とにかくノートに全てをかいていくのだ。
予備校公式の世界史テキストはあったけど、ほぼ使わず、全部先生お手製プリントをはったノートが中心。

そして、毎日ノートを見る。
とにかく毎日電車の中で5分でもみろ、だったので素直にみていた。
すると、見ることでこの要素はこの事件の下にあったなという位置関係から歴史の縦軸が視覚的に頭に入ってくる。
紙の上下の位置で、なんとなく歴史の縦軸がおぼえられるという仕組みだ。

色分けの徹底

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・ピンク→超重要事項(日東駒専、センター試験必須)
・オレンジ→超重要人物名(日東駒専、センター試験必須)
・水色→重要事項、人物名(MARCH必須)
・緑→たまにでる事項、人物名(早慶上智必須)

日東駒専ラインがひかれてたのは、基礎クラスが世界史の日東駒専ライン受験想定のクラスだったため。
生徒をよくみて、適切なラインを示してくれてたなーと思う。

歴史の縦軸と横軸の提示、俯瞰でみること

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世界史苦手な人の理由として、「基本分野の縦軸で把握できても、同じ時代での隣接した地域や分野からの影響が把握できない」があると思う。

先生の世界史では、縦軸中心ではあるのだけど、必ず横に広げて追記説明したり、過去のノート振り替えさせる時間があった。
ヨーロッパでの王権と宗教と市民の権力関係の流れ、第一次世界大戦以降の複雑な国際関係、政治と経済と文化。
色々な方面から光をあててつなげる作業をするので、歴史が立体的に見えてとてもおもしろかった。

歴史のストーリー、意味の説明

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十字軍、教皇権、バビロン捕囚、アナーニ事件、フィリップ2世、フィリップ4世。それぞれ単語をおぼえると、それがどうつながるのかが見えづらい。
けど、先生はストーリーをかたったうえで、転換点となるワードを位置づけていた。

ストーリ概要『フランスでは最初教皇がつよくて、王様は破門されたら泣いて土下座レベルだったんだけど、十字軍で教皇権弱くなって教皇が王様破門しても王様のダメージゼロ。教皇の立場なし。』

『フランスではカロリング家断絶後、ユーグ・カペーが王に選出。王権は弱体で、フィリップ2世は教皇インノケンティウス3世と対立し、教皇に破門され屈服せざるをえなかった。しかし、たび重なる十字軍の失敗で教皇の権威は地に落ちた結果、聖職者課税問題でフィリップ4世は教皇ボニファティウス8世と対立し、教皇をアナーニに捕囚した(アナーニ事件)。また、教皇庁をアヴィニョンに移したことから『教皇のバビロン捕囚』といわれるようになった』。

というかんじ。単語覚えるより連結して覚えるので、頭にずっとのこりやすかったし、記述問題も得点とれた。

偏差値あがるとみんな上のクラスに移動するのだけど(たぶんテストとか難関校向けになる)『この先生じゃなきゃいやじゃ!!』といってクラスに残してもらってた。
先生の教え方との相性がすごくよかったんだと思う。

世界史ノートが形作った、学びたいことへの学習スタイル

さらには推薦入試で受験が12月に終わっても、予備校の世界史の需要だけはとりつづけてた。
面白い近代史現代史、受験終わったからといってききのがしてたまるか!という一心で。

そして現代史までのノートを完成させた結果。
大学に入ってからは、今度はそのノートを見返しまくることになった。
政治学、国際政治学、国際政治史、国際文明論、ゼミ卒論まで何回も見直す見直す見直す。
もはや何回見直したかわからん。
私の社会系学問において、この世界史ノートは欠かせない聖書だった。
このノートをみれば、自分が学んだすべてがかいてあるという安心感。 

そして、世界史ノートが以後の自分の学びのスタイルにも繋がってくる。
本気で学びたいときには世界史ノートつくるつもりでノートを書き続けたのだ。

それはグラフィックレコーディングだと言われ、いろんなところでかく機会やワークショップやる機会をいただくことになっている状態が今。
受験世界史から、思えば遠くにきたもんだ。

明日の自分は赤の他人。
勉強できるわけではないからこそ。
私はただただ好きなものを理解したくて、赤の他人のために、ノートをとっていた。
明日の赤の他人は100のうち100わすれても、その後1くらいは覚えてくれるし、あさっての赤の他人は2くらいは覚えてくれる。

その積み重ねが分厚いノートになって、その後の私の人生を支えてくれた。
ワークショップでの出会いとか、誰かのイベントでの役にたつ姿勢を身につけさせてくれた。

1999~2000年頃、早稲田塾町田校で世界史を教えて下さった先生には、今でも感謝しています。
でも、名前おもいだせなくてごめんなさい。
検索したのだけど、確実な名前が思い出せませんでした。
誰かこのノートみた方で、先生覚えている方と出会えたらとてもうれしい。

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