産業技術大学院大学、人間中心デザイン履修証明プログラムの復習レポ第10弾「発想ファシリテーション論」です。
去年発想ファシリテーション論の授業振り返りブログを書きましたが。
今年はブログに加え、グラフィックレデコーディングも描いています。
去年学んだ内容を、再解釈もぐもぐした結果。
全く別の味わいになってたことに気が付きました。
ファシリテーター・ワークショップ設計者に求められるもの
ファシリテーター・ワークショップ設計者にもとめられるものを、今回は黄緑ベタのふきだして表現しました。
- 場づくり
- 舵とり
- 発想のしかけ
- 合意形成
- 「私たちは今どんなアイディアを欲している?」を考える
- 「今この場で、私たちは何をすべきか?」を考える
このうち、特に印象的だったのが、『「私たちは今どんなアイディアを欲している?」を考える』『「今この場で、私たちは何をすべきか?」を考える』という点でした。
「私たちは今どんなアイディアを欲している?」を考える
「私たちは今どんなアイディアを欲している?」を考えるには、WHY / WHAT / HOW の3つの視点があります。
この視点の違いは、粒度が全然違うので、一つの議論の時には混ぜるな危険です。
ここ、頭では「あたりまえじゃん」と思っていたものの。
グラフィックレコーディング勉強会、みる研究所、会社でのワークショップ設計等何回も何回も繰り返して、ようやく体で理解しはじめてこれたかな、と感じています。
- WHY:ワークショップ全体のねらい。どうしてやるのか、誰にどんな体験をしてほしいか。
- WHAT:ねらいに近づくための、各プロセスで何をやるか。
- HOW:各プロセスのワーク内容詳細。
例えば、グラフィックレコーディングのワークショップ。
同じグラフィックレコーディングのワークショップでも、切り口はずいぶんちがうのです。
▼【A:クリエイター系社会人むけ】10/4(日)実施 クリーク&リバー
▼【B:大学生向け】11/9(月)実施 フェリス女学院大学
- WHY
- 【A:クリエイター系社会人むけ】
・コミュニケーションのギャップを解決するために。 『イメージをすりあわせるプロセス』を グラフィックレコーディングをやってみることで、考える。
【B:大学生向け】
・情報を『見える化』する大事さや手がかりを グラフィックレコーディングという手法を通じて 学んでみる。 - WHAT
- 【A:クリエイター系社会人むけ】
グラレコが自分の仕事にどうつながるのかを共有しあう⇒描く基本を学び、描く楽しさを感じる⇒どうイメージを生み出すために考えて手をうごかせばいいのかを学ぶ⇒本番で実践する⇒自分の次にどういかせそうか考えて終わる
【B:大学生向け】
講師の個人的な問題意識を共有⇒グラレコを知る⇒構造的に描く基本を学び、描く楽しさを感じる⇒本番で実践する⇒自分の次にどういかせそうか考えて終わる - HOW
- 【A:クリエイター系社会人むけ】
インプット⇒表現トレーニング⇒イメージ・情報見える化トレーニング⇒イメージすりあわせの演習⇒ふりかえり
【B:大学生向け】
インプット⇒グラレコ実演⇒表現・構造化トレーニング⇒ニュース記事を読んでグラレコする演習⇒ふりかえり
このWHY / WHAT / HOWは一発できまればいいものの。
一発でまったくきまることはないと思います。
テストして、検証して、HOWまできめたのにWHYやWHATまでさかのぼって設計しなおすなんてこともありました。
このさかのぼりを繰り返して、設計の議論を繰り返し、ようやくWHY / WHAT / HOWの違いが見えてくるのです。
三澤先生のいってた「何回もやって感覚つかもう」という言葉どおり。
今回の授業でも、このWHYまで到達して考えられてたグループがなかなかなかった状態でした。
「勉強会に名前をつける」というワークショップで、WHAT / HOWまで議論はいくのですが。
『じゃあどうして名前をつけるの?名前をつけるというプロセス全体を通して、参加者に何を持ち帰ってほしい?』まで検討するのは難しかった模様。
本来はワークショップシートの「ねらい」に書くべきなのがWHYなのですが。
ここをWHATで書いてしまうとワークショップ設計議論がまとまらない可能性もあるんじゃないかと感じています。
「今この場で、私たちは何をすべきか?」を考える
私が三澤先生すげー、超能力者じゃないかと思ってるのはここがゆえんです。
三澤先生がワークショップ進行されるところを何回かお手伝いしたのですが、進行が都度変わる変わる。
自分が想定したストーリーどおりに先導してしまう自分とは全然違い、驚きっぱなしでした。
「インプットして頭がいっぱいな状態、人の呼吸でわかる」
「そんな状況を見ると自分も苦しくなるので、ワーク内容をがらっと変える」
三澤先生の「今この場で、私たちは何をすべきか?」を考える感覚はとてもユニークだなと感じました。
私は場に出ている情報の認知は比較的得意で、情報ベースで「今この場で、私たちは何をすべきか?」を考えコントロールするのはそう難しくはないかな、と思ってます。
ただ、参加者の人の熱量とか疲れ、感情をくみ取るのがすごく苦手。
熱量ベースで「今この場で、私たちは何をすべきか?」の判断に必要な材料を、ストーリー進行(ファシリテーター)に集中していっぱいいっぱいになってしまうのです。
まだまだ自分の課題だと思います・・・・。
ワークショップデザインの演習
授業では、『100人規模になったHCD勉強会の名前をつける、10分のワークショップをつくる』というテーマで、ファシリテーション・ワークショップ設計を行いました。
ファシリテーターズ(ファシリテーター役)が、HCD勉強会メンバーである参加者にむけて、HCD勉強会の名前を付けるためのワークショップを実施するという設定です。
ワークショップ設計には、ワークショップデザインシート(簡易版)を使います。
この班は好きな食べ物のイメージから、楽しい気持ちを想起し名前を発想しようというねらいとのこと!
こちらの班は、「HCD100人ワークショップってどんなイメージ」という、組織のイメージをだした後、そこから名前を発想するねらいです。
設計が終わった班は、テストしたり、議論したり、最後までねばって発想を繰り返していました。
ワークショップ設計後は、他の班の人を参加者とみたて、ワークショップを実際にやってもらいます。
なんと!この班はアクティングアウトをして、そこから発想するんだって。
おもしろい!
ワークショップ実施がおわると、相手の班と一緒にふりかえり⇒その後自分の班で振り返りです。
振り返り後は、三澤先生からのアドバイス。
特におもしろいなと思ったのは以下でした。
・WHYを考えていない。
・「好きな食べ物」から名前を発想するのはおもしろいけど、偶発性が高く、また参加者の納得感としてはどうか?
・発想ででてきたワード、個人の主観によっては全然違う解釈可能なものになった。その時、どう場に問うか?
・発散のしどころ。『~がよかったことは?』という問いは発散にはむいていない。
・(設計した人は問いあるつもりだけど)問いがないようにみえる。また、問いの具体性は大事。
WHYを考えたうえでの問いのたて方、取り扱い方がテーマかも。
問いのたて方は、私もいつもワークショップでうんうんうなる部分です。
例えば「日常に○○を持ち帰って自分の現場でつかえるようにする」というねらいがあった場合の、ふりかえりをするワーク。
「今日の感想を書いてください」だと、問いにならない。ぼーっとしか書けないのです。
「楽しかった」と書いてほしいわけではなく、「次にこれやろう!」というチャレンジ心をもってかえってもらえたらいいなーといつも思ってます。
そこで「今日学んだことはなんですか?」「次にあなたが活かしたいことは?」という二本立ての問いにすると。
「今日何をまなんだんだっけ」って脳みそ掘り返し、その掘り返しをもとに「これなら自分の生活にこう使える?」と次に思考を動かすことができるのです。
(ここ、三澤先生の進行から学んだ部分。)
最近は、問いをたてる=社内勉強会やったり、後輩指導のときの自分のあり方、になりました。
例えば、社内でのツールの使い方。
制作作業には欠かせないものの、頻繁に使うこともありミスが発生しやすいツールでもありました。
そして、そのツールはしばらく使い続ける必要がある。
ミスを防ぎたいので、どこが心配な点、わかってない点なのかを入社半年以内くらいの人にききたいという状況がありました。
そのときの問い。
×「このツールの何がわからない?なぜわからないのか?を教えてください。」
○「このツールの『今更きけないけど不安だなあ』という点はどこですか?『超初歩的?』と思ってしまう質問こそ歓迎!」
後者の質問をすることで、場でどんどん「実はこれが・・・」という話がでるわでるわ。
そこに私は答えず、社歴とわず知識をもっている人が数人で答えるというスタイルにしました。
社内パネルディスカッションです。
そのツールを使ってる人の今の不安の軽減もですが、今後教育するときに、このときでたテーマを見直して使っていきたいなーと思っています。
—–
「偶発的に発想が生まれる環境を、計画的に設計しよう」
この三澤先生のことば、とても重要。
一個一個の小さな発想は偶発的だけど。
アイディア発想のための環境は計画的に設計できるのです。
(そのあたり、個人としてワイヤーフレームの書き方に私は大きく影響を与えています。⇒webディレクターがワイヤーフレームを限られた時間内に書くための工夫)
また、昨年発想ファシリテーション論を持たれてた、上平先生のこの言葉を思い出しました。
・子供のアイデアはそのままつかえるわけではなく、そのイメージを具体化・精緻化するのはプロのデザイナーの仕事。大人にはない発想を取り入れるために計画的に巻き込んでいる。
・見せかけや口実つくりの市民参画、ワークショップではなく、そもそものところでたとえ子供であっても対等に対話し、尊重する社会理念がベースにある。先日、Rasmusは「我々は実際に使う彼らの気持ちを何も知らない、逆に教えてもらうという気持ちだよ」と言っていたな。この辺の民度(?)を決定づけているものとして、デンマークの社会民主主義の歴史は半端なく厚い。
・そして民主的とはいっても、決して多数決ではなく、折衷案でもなく、決めるところはピシッとプロが決めている。つまり役割分担がうまい。
・デザインへの参加と言っても、ゲーム的なもの(=ゲーミフィケーション)ので、アイデアが取り入れられたこどもだけではなく、みんな楽しい。成果ではなくプロセスに参加していることを子ども達も理解している。
・子ども達が参加したというストーリーを積極的にアピールすることで、保護者や地元民も、危険だけれども面白いこの両義的なアイデアを肯定しやすくなり、みんなで良い気持ちを分かち合うことができる。
ユーザーテストやユーザーインタビュー等のユーザー調査ででた発想の種を、どう遠くまで飛ばし、チームの皆で育てるか。
その手法のみならず、姿勢を教えてくれるいい授業だったなーと感じました。
今年も学べてよかったです!
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