「グラフィックレコーディングって、絵の議事録でしょ?」
「イベントで最近よくみるけど、結局写真とって終わりで、あまり意味なくない?」
グラフィックレコーディングを描いている話をすると、時々そんな質問をうけることがあります。
同時にグラフィックレコーダーからも「イベントで描いてその時は喜んでもらえたんだけど・・・結局かきっぱなしになっちゃってる気がする。」という声もきくこともあり。
グラフィックレコーディングが注目をあびればあびるほど、コミュニケーションのいち手段であるという側面が見えづらくなり、パフォーマンス面が目立つようにここ最近感じます。
グラフィックレコーディングは、コミュニケーションのためのいち手段。
グラフィックレコーダーは、『場』をつくる一員。
では、グラフィックレコーダーは、どんなコミュニケーションを目的に、どのように『場』をつくるといいんだろう?
そんな問いのもと。
ここ最近、依頼をうけた案件については、極力『場』をつくる一員として、企画や進行に提案を行うようにしています。
Code for Nagareyama IODD2016「SNSといじめを考えるワークショップ」にて、ひとついい形をうみだせたなーと思うので、事例紹介として記録にのこしておきたいと思います。
グラフィックレコーディングの位置づけ
最初にご依頼をいただいた際、「拡散のためのグラフィックレコーディング」という話でした。対話した内容を可視化し、それを見やすい形としてのこしておくためのグラフィックレコーディングという位置づけです。
もちろんその役割は重要ですが。
せっかく多様な立場の人があつまる、地域での対話なのだとしたら。
その多様な会話を深める、促す、思いをあふれだすための関わり方が求められているなと考えました。
この役目をグラフィックレコーダーとしてどうしたら担えるか?
が最初の出発点でした。
対話を深めるための準備
チームメンバー
グラフィックレコーダーネットワークで募集し、5名で確定。
ファシリテーター経験のある人が私に加えもう1名、グラフィックレコーディング経験を積んだメンバーが2人、今までスケッチノート中心だったけどどんどん描いていくぞというメンバーが1名。
個人的には。以下を考えて、チーム編成を考えることが多いです。
- 記録に求められるクオリティは何か?(聞き取る/表現する/構造化する)
- グラフィックレコーダーが得意なものは何か?(聞き取る/表現する/構造化する)
- グラフィックレコーダーが時にファシリテーターとしてはいれるか?また、はいる必要がありそうか?
- 一人で放置してもその場で必要に応じて描ける人か?
- この人がチャレンジしていきたいことは何か?
今回は議論のグラフィックレコーディングパートがあったため、記録をベースに会話を促す役も必要そうだなと感じました。また、拡散が前提にあることから、ある程度のグラフィック性も求められそうとも。
結果、今回2チームにわけて動くため、ファシリテーター経験者(どっちかというとファシリテーショングラフィック的な動きもできる人)をチームにいれ、足りないグラフィック部分を残りのメンバーで補うという編成にしました。
「どうやると対話も深まって共有しやすい美しいグラフィックになる?」についてメンバー間で議論
「どうやると対話も深まって共有しやすい美しいグラフィックになる?」については、メンバー全員で考えながら進めました。
皆で記録の目的を考えたかったためです。
- A:議論(発散)とアイディア(収束)2枚にわけて、議論1名アイディア1名でかく
- B:議論(発散)とアイディア(収束)は1枚にして、うまくその1枚仕上げる分担検討
これに対し、以下のような意見がでました。
「発散のフェーズはあまり気にせず、出てくるものをぶわーっと描きたい。
そこから別の人がピックアップしていって、グラフィカルに仕上げていくのはどうでしょう?」
「リアルタイムで議論の様子を追って現場で使うことが目的なのか、後々に他の方々に共有するときに役立てたり、振り返ることが目的なのかで少し記録が変わるように思う」
「アイディアをたくさん拾ったほうが良ければ、付箋に書き出す人と付箋を元にまとめる人がいるといい?」
結果、「議論(発散)の過程は、記録としての意義(リアルタイム性)、およびグラフィック性両方がほしいので、タイムラグはつくらないよう検討」「アイディア(収束)はグラフィック性より強めにして、拡散しやすいようにする」という記録の在り方を決めました。
そこから、「どのようなグラフィックにすると伝わりやすいか?」を検討します。
発散と収束は目的が違うので、紙をわけるようにしたほうがよいという反面。
セットで拡散することに意義があるので、どのような使い方をするのがよいのか?という議論を行いました。
また、異なるグラフィックレコーダーがかいても、統一感がでるようにするにはどうすればよいか?も考えます。
そして結果としては、以下のようにフォーマットを決めました。
- 発散で1枚、収束で1枚、セットで認識してもらうために模造紙は縦2枚で隣り合わせで使う
- 統一感をもたせるため、セッションのタイトルの色は相互にあわせる
- 用いる色は、Code for Nagareyamaのロゴの色の黄緑、水色をベースとする。水色は大事な議論のトピック、黄緑は重要な何かがでたときのとっておき、他派生トピックや影などはグレーを使う。
- 収束時のアイディアは、ピンクで強調する。議論とは別であることを明示し、ぱっと目に入りやすいように。
- 対話のときの参加者を描く。どのような人が参加していたのかというのを伝えるため、参加している人がわくわくするため。
↓フォーマットはこんなかんじで、本番中常に目に入るところにはっておきます。
ワークショップ時
まずはいじめについてのセッション。
住職のお話、社会の中で見たいじめ対策の現状についての話のあと、「学校まかせにするのではなく、保護者が主体的にとりくめることって?」「地域の大人としてできることは?」というテーマについて話します。
ただ、最初は机のうえでひたすら個人が思いや自分の状況を語る、といった進み方になっていました。
グラフィックレコーディングを描いていても、誰もその記録をみていない状態です。
「対話を促すはずが、ただの議事録屋さんになっている!」
「ひたすら皆が話したいことを話してて、どこに着地していいかが見えない・・・」
そんな状況になっていました。
ただ、進行の方が対話の熱量をみて十分に時間をのばしていただけたので、ひとしきり個人の思いをだしあった後、いったん私が対話の中に入り、記録を振り返る時間をとりました。
「今までどのようなトピックがあがってきたか?そのつながりは?」を説明し、そのうえで「では私たちにできることってなんだろう?」という場を進める問いをあらためて共有します。
また、問いに対し、「議論の中でどんな種があった?」というのもあわせて一緒にふりかえります。
そのとき、場の空気が「おお!自分たちってこんな価値のある話をしてきたのか!」とがらっとかわったのを感じました。
あとは、また対話にもどりますが。
参加者の方が自然と記録をみて、指さしつつ会話を進めていく流れになりました。
対話によってうみだされた記録が、対話を生み出す。
グラフィックレコーダーとしては、とてもうれしい瞬間でした。
もう一グループのほうも、松井さんがファシリテーションにはいりつつ、対話のかたちをつくっていったそう。
(たぶん、松井さんのほうが自然な入り方したんだろうなーと予測。観察したかった。)
こうして当初の時間をだいぶこえた分、じっくり対話をしていくことができました。
この時間をいただけたのは本当によかったです。
できあがったグラフィックレコーディングがこちら。
SNSについてのセッションもこのあと続きます。
詳細は、code for NAGAREYAMAのページをぜひご参照ください!
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グラフィックレコーダーとして、というより『場』にかかわる人間としての思い
「グラレコって絵の議事録でしょう?」といわれたとき、私は明確にNOと答えます。
ただ、何も考えずただ描くだけだと議事録以上のものにはならないとも考えています。
その人のいったことをかくだけなら、その人の作ったスライドとか、映像とかのほうがよっぽど再現性があるし必要じゃないかなーとも。
『絵の議事録でしょ』といわれるのは悔しいし、同時にその懐疑的にみる姿勢もとてもわかる。議事録かけるだけじゃだめなんだよな。絵にしたから自動的に見てもらえる、役に立つっていうのは厳しいけど甘えだとおもう…
— azumi (@azumi0812) 2016年3月10日
だから、『場』にかかわるものとしては。
絵をつかったコミュニケーションを得意とするなら、それをどう用いると、場をつくれるのか?と考えるほうが断然すじがいいのでは・・・と最近考えています。
グラフィックレコーディングは本質的には絵を使ってコミュニケーションすることなんですよー。その過程が記録であって。だから、どんな記録描くかというスタンスでいどむと失敗する。どんなコミュニケーション産みたいか?が本質の問いなのよー!!
— azumi (@azumi0812) 2016年3月10日
グラフィックレコーディングをかいて人からよろこばれると、「こういうグラレコかきたい」という、HOWがどうしても中心になっていってしまうのですが。
WHY どうしてかくのか?から考えると、ただかくだけじゃない、できることがものすんごい広がるように思うのです。
場の空気あっためるとか、対話促すとか、課題解決とか、俯瞰してみて発想するとか、あとから俯瞰して考えるとか、絵っていろんなつかいどころあると思う。そこの場に何が必要かを感じて即座に適切なものを判断こそが、実はグラフィックレコーダーに一番求められるものなんじゃないかとおもうのです。
— azumi (@azumi0812) 2016年3月10日
ワークショップで、「グラフィックレコーディングをやってみよう!」と声をかけていく中で、どんどんその輪がひろがってきたように思います。
広げるのと同時に、その使い方を必要に応じて『場』で提案する、可視化していくのが自分の今やるべきことなのかもしれません。
その提案は一人では決してできません。
同じく『場』をつくるイベント企画者のひとたち、そして多くのグラフィックレコーダーたちと一緒にとてもやっていきたいと考えています。
吹奏楽。スティールパンでのバンド活動。UXデザイン。ワークショップ。グラフィックレコーディング。
誰かの美しい表現に全力でのっかって、そこに重ねて、その中で自分の表現を強く場に刻み、世界を超えて自分が溶けてしまうような『場』が、私は昔から大好きです。
ものづくりをする行為というのは、溶けるということかもしれません。
溶けた先に、新しい世界がある。
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おまけ
グラフィックレコーダーは、必ず終わると反省会を行う習慣があります。
そしてその場でもやっぱり描く。笑。
反省会して、皆が「グラレコ使われた!」という感覚を共有できたのは、一つのいいラーニングだったなと思います。
関係者のみなさま、ありがとうございました!
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