ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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『dialogue to diagram:対話を図解する手法を学ぶ』に参加してきました

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ようやく念願かなって。
東京大学大学院 安斎先生が企画されているワークショップ『dialogue to diagram:対話を図解する手法を学ぶ』に参加してきました。
ゲストは東海大学講師の富田先生

今回参加したのは「学問の世界にいる人たちから見えるワークショップと、可視化の世界を見てみたかった」という理由からでした。

UXデザインの世界から入り、ワークショップデザインをするようになってから、『どんな問を場にだすと、みんんなと新しい世界にいけるんだろう?』『この場で何がおきているんだろう?』という問いを常に考えるようになりました。

しかし、『この場で何がおきているんだろう?』については瞬時につかむのが私は苦手。感覚的にまだ体に入り切ってないなーと考えています。
たとえるなら自転車で補助輪つけたりはずしたりして、ふらふら走ってる状態。走れるけど、危なっかしい。
こういう時に私は違う視点をあえてぶっこむのが好きです。

その道の先達について実務を見たり、研究や書籍を読み、自分の中に新たな問いを発生させるのです。
問いのもやもやを考え続けて、外化しつづけて、前に進むスタイル。

今回は学問の世界にいるお二人の話を伺って、そのワークショップの場に参加することで、自分をゆさぶってみようかなーと思ったのでした。

おもしろかったトピック

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ファシリテーショングラフィック、グラフィックレコーディングに注目が集まる社会的背景

おもしろかったのが、この社会的背景部分。
アメリカの『対話と共創の文化』が、日本の『議事録しっかりとる文化』(参議院・衆議院に合計300名以上の速記者がいたくらい!)、『コミュニケーションコストをかけることが必要という文化』とあいまっているという指摘でした。

もちろん『議事録しっかりとる文化』で生まれる記録は「いった言わない」を明確にするための目的ではあるのですが。
社会がグローバル化して多様な人種、国籍、自分とは違う身体やメンタルの人と社会をつくっていく機会が増えている現在において、記録の目的が変わってきているのかなとも感じます。

『この場で何がおきているんだろう?』の可視化

多様な人がいる中でのアイディアの連鎖を、ワークショップでの発話書き起こしして可視化した安斎先生の研究、ここは一度やってみたいなーと思いました。たぶん相当大変そうだけど(汗)
ユーザーインタビュー分析における切片化→構造化をすることで、ユーザーの要求事項を見つけるプロセスに似ているなと感じています。
可視化することで、その場の中では見えなかったものをみる試み。

メタファの強さと怖さ

私は小さいころから絵を好きでかいていたため(たいしてうまくはないにせよ)、絵にせよ文章にせよ、メタファを当たり前のようにとりいれてきているんだなと気づきました。

たとえば今回のワークショップで行った、TEDのプレゼンの構造化。

このプレゼンの構造化一つをとっても、人によって相当の差が生まれます。

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左:時系列にプレゼン内容を並べて「3手の読み」から「どう思考するか」という流れ
右(私):人間の頭ぽいものを描いて「論理的:読む」「感覚的:ふかんする」で分類
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左:「読み」、そこから「大局と小局」、「選択」という流れで描く
右:左から順番にプレゼン内容を時系列にする。基本→手段→方法→心構え という流れと読んで描いた

同じプレゼンを見た人でも認知がここまで違うこと、またその認知が人の背景(特に職業的なもの?)がでるというのが興味深かったです。

私は「サービス全体をふかんし、異なる立場の人に簡潔に伝わるものを作る立場」という職業特性、「問いにたいする答えを示す」という小論文的な思考から、簡単に伝わりやすいメタファーを用いることが多くなります。(ここでいう人間の脳みその絵)
反面、メタファーを用いることでぬけおちる部分がどうしても発生してしまうのも事実です。
例えば、『読みという部分に、「ふかんする」という行為は内包されている』という解釈。
読みという行為をするために「ふかんする」ので、私のように単純に「読む」「ふかんする」を二項対立にするのは意図したものではないのかもしれません。

記録を場のものにする方法

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このように、人の主観でぬいた記録を、どう『場』のものにするのか?というのが、ワークショップの最後ででてきた問いでした。

・もれていたら発話者に記録追加してもらう
・みんなで構造化する
・レコーダーがききなおす
・レコーダーから「ここがかたよってませんか?」「ここがたりないのでは?」と場に問う

ここをどう作るのか?がワークショップ設計、およびファシリテーターやグラフィックレコーダーにもとめられる役割なんだと思います。
最近、『人の主観でぬいた記録を、どう『場』のものにするのか?』という時間や場所を設けるよう、依頼者と話をつめる機会も増えました。
記録をかきっぱなしではなく、成果につなげるために。

何が場において目的なのか、その目的を達成するためにどんな記録が必要なのか?
記録以外にも必要なプロセスは何か?
うまれた記録をどう評価していくのか?

特に評価フェーズはまだみえきってないので、評価手法をもうすこしこれから掘り下げていければいいなと思います。
イベント企画者の人たちとふりかえりまで一緒に入る、というのが第一歩かな。

もっといろいろ描きたいことがあるけど、時間ぎれ。
情報デザインフォーラムにいってきます。

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