6月25日、久しぶりに都の西北・懐かしの母校、早稲田大学政治経済学部の3号館にいってきました。
富田誠先生の『早稲田大学 政治経済学術院 政治学研究科 ジャーナリズムコース デジタルトレーニング」の授業で、スピーカーとして参加してきました。
政経卒・UXデザイナーという立ち位置です。
インフォグラフィクスで、見えにくい情報をわかりやすく。社会に対する問いをうむ、まきこむ力も持つ。
富田先生の授業では、イギリスのEUの離脱を問うた国民投票をとっかかりに、メディアでどうインフォグラフィクスが用いられているかという話からはじまりました。
社会には何かを示す膨大な情報がありますが。
「それらを俯瞰してみて、比較することでアクションをおこす・・・というのはもっとやっていけそうだなー」とcode for japan summit のRESASの事例を伺ったとき感じていました。
今回の授業ではその歴史をひもといて、話が進みます。
面白かったのが、ナポレオンのロシア遠征のインフォグラフィクス。
進軍経路と兵士数、気温の関係が描かれています。
「ナポレオンのロシア遠征、寒くなってきて耐えられなくなったときにロシアにぼっこぼこにされて死ぬ思いで撤退していった」みたいな世界史ストーリーと一緒にみると、とても説得力があるのです。
最後のほうの黒い細い線、まじでつらそうだ・・・・とか妄想はかどる。
あと、gapminderのデータビジュアライゼーション。
各国ごと、エリアごとの人口の大きさが円で表示されており、縦軸:平均寿命 横軸:GDP でプロットされています。
年がどんどんすすんでいくと、おおむね左下から右上にボールが移動し、大きくなっていくのが大筋の流れなのですが。
時々、ボールが大きく動くところがあらわれます。
例えば、1917年と1918年には、グラフ上のボールが一気に全部おっこちてしまうような状況になります。
第一次世界大戦の終盤、塹壕戦による戦線の膠着および国家総動員での戦争参加が背景にあります。
同じことが、1944年1945年にもいえます。(第二次世界大戦)
日本はこんなかんじ。
1943年以降に平均寿命が、1945年付近で大きくGDPが落ちていますが、その後6年で平均寿命が60才を超え、GDPもぐんぐん回復していく様子がよくみてとれます。
他の国アジア諸国の動きと比較しながらみると、平均年齢の回復のはやさが目につく印象でした。
歴史の中で整備されてきた水道網や病院などの衛生状況に加え、気候的な側面、戦後の政治体制(内戦にならずに産業復興が行えたこと)があるのかなーと、世界史を思い出しながら眺めていました。
これ、近代史年表とあわせて各国みると相当面白い。
こことここ比較したらどうなる?なんでこの国はここの動きが顕著なの?といろんな問いがうかんできます。
データにもとづいての政策立案と同時に、データにもとづいた政策のアピールが政治の世界でもっともっとひろまっていくとおもしろいのかなーと思います。
今もデータをベースにした政策立案、やってないことはないんだろうけど、多くの市民が見てる感じは・・・いまいちしません。。特に一番身近な市区町村レベル。
自分の市区町村が何をしているのかはもっと調べてみたほうがよさそうだし、可視化できることってきっとあるんじゃないかなあと感じました。
そんな目線から、富田先生の『政策の視覚化ワークショップ』はとても興味がある部分です。
私は政治なりデザインなり、「誰か一人の強い声にひっぱられ、集団外を敵とみなし攻撃するあり方(例:ヒトラーやムッソリーニのような独裁者、ファシズム)」みたいな状況に、自分や自分の好きな人をおきたくないなと感じています。
ともすれば自分が独裁者めいた謎の影響力を発揮してしまう面もあるため、強く自制が必要だとも。
自分が求める、多様な人たちが新しく何かを一緒につくっていけるような世界をうみだすには、自分がそうあらねばならないし、人をまきこんで一緒に考えていくプロセス生む力が必要なわけで。
視覚化、というのはそのとてもいい手段だよなーと感じている次第です。
チームで実現するということ
こうしたインフォグラフィックをうむためには、チームで実現するというのが理想というのが富田先生の授業での一番の核心でした。
このコラボレーションの例でおもしろかったのが。
『関係性の質をあげることで、はじめて成果の質もあがる』という、ダニエル・キムの成功循環モデルの話でした。
NGO(政策立案)での組織運営にファシリテーションおよびファシリテーショングラフィックがはいっていたのも、その関係性の質をあげるための行為に他ならないと感じます。
例えばNGO運営のための名著、NGO運営の基礎知識。
ここにかかれている内容、メンバーケアなど、この関係性の質の部分がとても多いのです。
それは、市民活動=多様な背景の人々が集まってくるという場をつくるという視点からなんだろうなと改めて感じました。
(この本、改めて読みなおしたい。。恥ずかしながらいろいろできてない部分、私はまだまだあると思うのです・・・・)
ストーリーと客観的データの存在を社会にもっと使えないか?という問いにたいしては、自分ももう少し手を動かしながら考えたい部分です。
デザインはデザインでも。
私はプロダクトデザインのように、『目に見えるものをつくる』というところに自分の力が活かせる…とは思っていません。
情報設計できるけど、じゃあそこが素晴らしくできるかっていうとそうでもないし。
クライアントワークでもコンペで指名されるレベルはあると思うけど、なんというかそこまでどまりなのです。
自分よりできる人がそりゃーいるだろうなー的レベル。
むしろ、社会や集団の中でどう意思決定をしていくか(地域を運営していくかとか、超ミニマムだと一つのサービスをつくっていくとか)という『プロセスをつくる』ほうに力が活きるのだと最近考えています。
そのプロセスづくりの根底にあるものは、人間中心設計と、数値をみるための力。
そして授業では、TELSTARの土屋さんから、「高校生に宇宙開発に興味をもってほしい」という意図でつくられた冊子TELSTARの話を伺うことができました。
興味をもってもらうためにインフォグラフィックをチームでつくっていること(はやぶさは牛丼何杯分でつくられてるか、とか!)をきいて、私もおもわず「お!」とのりだしてしまいました。
つい見たくなるんですよね、そういうインフォグラフィック!
UXデザイナーとしての話
名刺こそ「webディレクター」ですが。
私がUXデザイナー的な仕事で会社で好き放題やってるのは、「多様な人たちのあいだで、新しいものをつくっていきたい」という思いがあるんだよという話をしてきました。
それは、大学時代に特定非営利活動法人 NICE(日本国際ワークキャンプセンター)という団体で国際ワークキャンプをつくってきたこともそうだし、webデザインの現場でディレクターとしてずっとかかわってきたことと一本の線でつながっているのです。
専修大学の上平先生の言葉を借りれば。
『文化の潮目』で人と一緒に何かをつくっていくのが好き。
大学時代に言語化できなかったもやもやが、今10年以上たってようやくあらわれてきたように思います。
そして、次につくるべきものも、少しずつだけど見えてきた。
「会社の壁を勝手に占拠して、(ストーリーボードで)ユーザー体験の可視化をしている」と話したところ。
富田先生からは「それは非常に早稲田的」とのフィードバックをいただきました。
勝手に占拠して勝手にやりたいことやる早稲田魂(笑)
確かにそのあたりの強引さは早稲田で培われた部分かもしれません。
富田先生が問をうみだし、私もこたえて、また話を展開させて。
授業をそうして即興でつくっていく中で、学生さんたちの熱意があがっていくのを感じました。
最後に生徒が『チェックアウト』としてふりかえりの一言をまわしていくのですが、その瞬間「ここは全部描きたい!」と肌でかんじ、いてもたってもいられなくなってホワイトボードに全員分のひとことをグラフィックレコーディングで記録していきました。
描けば描くほど、場の感情があがってきて、私も富田先生もおどろきっぱなしでした。
富田先生との授業の即興は、(一部自分が演奏しすぎて反省するパートはあれど)、めちゃくちゃおもしろいジャムセッションのようでした。
こうして母校で経験を語り、教える場にかかわらせていただけたことをありがたく思います。
また、母校に恩返しできるときがあるといいなー。
大学時代、「これだ!」と思って政治学びはじめたけど、もやもやはしてて自分がいきたい方向とか根っこみたいなのわからずもがいてたんだけど。そのあとデザインの世界にいって、もやもや晴らすためにあがいてたプロセスが今の根っこつくってると思う。気になる方向いて手を動かし続けるの大事。
— azumi (@azumi0812) 2016年7月3日
大学で政治学学びつつ、めっちゃもがいてたのは、きっと今にいきているんだと思う。
そしてこの先にも。
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