ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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ファシリテーションのために、身体性を鍛える訓練(やや邪道)

img_161214この記事はファシリテーターアドベントカレンダー2016の13日目です。

ことし一年は、「ファシリテーターとして、身体性に向き合ってみよう」と思って、ワークショップも阿呆なこともとりくんできました。
今年のはじめに、佐々木薫さんが主催されている「あり方を磨く」Standing in the Fireワークショップ
にでたのがきっかけです。

ここ二年の間で、ワークショップや学びあいの場、企業の研修、地域の人と人との会話など、私はファシリテーターとして多くの場にたつ機会をいただいてきました。
場数をふむのと同時に、弱みも実感しています。
一つは、予想外のできごと…特に自分にとってワークを全否定されるような内容や、厳しい指摘、停滞した空気など…に対し、どう対応すればいいのか迷いがある点。

佐々木さんのワークショップは、「自分に火が付いてしまう(自分を正当化したり、うろたえたり、後悔したりなど)タイミングを体で観察し察知して、『いま、ここ』に再び集中するための体の使い方を学ぶ」というものでした。
そのためには、火が付いた感情がおきるときの体の反応を観察→察知→客観化必要があります。
でも、普段頭でっかちで体軽視してた身としては、まあいきなりやろうとすると難しいわけです。
なので、普段から体の感覚を見る訓練をしつづけてきたのでした。

いくつか今年やったことをふりかえってみます。
ぶっちゃけ邪道ですが気にしない。

散歩

佐々木薫さんとはなしてるなかで、印象的だったのが散歩の話。
佐々木さんは「いま、ここ」のみをとらえて歩く散歩をされているとのことでした。
私は普段ぼんやり「今晩ゴハン何にしよう」「次のUIどうしよう」とか考えながら歩いていたので、その感覚にまずびっくり。

さっそく真似してみました。
春はよいかんじ。世田谷近辺の緑道で、緑道の花や土の匂いをときに感じつつ、集中してあるいていました。

が。夏以降状況は一変。

寄るポケモンGOの大波には勝てませんでした。
常にスマホと、充電器をもって「ピガチューはいねがー」とウロウロする毎日。
夏以降、200km以上は歩きましたが、「いま、ここ」ではなく、ポケモンに集中してしまいました。

最近は「これではいかん!」と思い、ポケモンGOをONにして画面は見ず、卵を孵化装置につっこんだうえで、画面を消し、スマホをポケットにいれて歩いています。
でもハロウィンのゲンガー祭とか、サンタピカチュウとかでてくるたび、志半ばでつい画面をだしてしまいます。
完全に中毒者。

瞑想アプリ

本当はワークショップやお寺などにいきたかったのですが、機会があわずいけずじまい。
手っ取り早くアプリ(5分間の瞑想というやつ)を試してみました。
最初っから怪しい方向性に全力で進んでるようにみえますが、これが想定以上によかったです。

・夜寝る前の5分くらいなら瞑想の時間をとれる
・音声ガイドなので、ガイドにあわせて音声をきいて体に集中していくことができる
・数種類のワークがあって順不同で何回もトライできる
・一カ月くらいやっていると、少しずつ観察→察知→客観化が体で理解できる

そして思わぬ効果だったのが、アプリなので当然スマホで持ち歩きできるという点。
イヤホンをもっていけば、ファシリテーターとして立つ本番前の電車の中で瞑想することも可能でした。
(さすがに座禅くんだりはしませんが)

何かいやな外部要因がきたとき、過度の緊張しているとき、「アプリであったこのイメージでとらえて、アプリでやったこのイメージで流して、アプリでやったあのイメージで平穏をとりもどそう」がぱっとでてくるようになりました。
なんという進研ゼミ状態。
少しは処理能力があがり、もやもやすることがへったように思います。
それでもまだまだだとは思うけどね!日々鍛錬。

即興演奏のステージで、実力2割でやれることに集中する

「いま、ここ」に集中するためには、場の観察が絶対に必要です。
となると、普通演奏で仮に10の力をもっていても、場の観察に力を割いた結果、あとの2くらいの力でどうにかするというのが普通の流れになります。

私はほっとくと、10を10だしきるマインドでそだったコンクール至上主義的な思考で音楽をとらえてしまうので、そうしないイメージを持つことからはじめました。
かっこいいけど複雑なクロマティックは使わない。
けど、まわりの音や、お客さんの反応を見る。
そして、その音やお客さんの反応から体がうけたもので、体で表現する。(頭でかえさない。頭を介そうとすると、複雑で即興できないメロディになるので)

同じようなことをグラフィックレコーディングでもやってはいるのですが。
音楽だとまだちょっとぎこちなくて、グラフィックレコーディングだと思いっきり『いま、ここ』に入れるのは不思議。
同じ人間だけど、場と生み出すものが音楽か情報かによって違うのです。

ちなみに音楽やっててとても思うのは。
「実力2割でできること」をひろげるには、地道な基礎練習の積み上げが必要という点。
100の実力の人の2割=20ですが、50の実力の人の2割=10、10の実力の人の2割=2。
この差が、即興の場におけるパフォーマンスの差となるのです。

実力10の人が、50の人の2割=10をみると「なんだ自分も同じくらい。できるじゃん」て思うのですが、それは大きな勘違いで。
いざ場にたつと、10の人が10割の力をだすなんて相当奇跡だし、むしろ「10だしきらなきゃ」と自分に火がついてどんどん自滅してミスを増やしていってしまうのです・・・。。

というわけで、腹八分目ならぬ、実力二分目をめざして演奏しています。

今年も青鯖ワンマンライブに隅田ジャズフェス、江古田buddyでのライブなどなどたのしかった。

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そんなかんじで、日々トレーニング(?!)しつつ、来年もいろんな場にかかわっていけたらいいなーと思っています。

最近よんでおもしろかったのは、キース・ジョンストンの本。
インプロのワークショップの本だけど、即興表現に必要なマインドがそろってて読んででうなづくことばかり。

そしておそらくファシリテーターとして活躍されてる方なら、必ず読んでいるであろう中原先生、高尾先生の共著。
高尾先生が吹奏楽出身だというのは最近知りました。「上手になるための厳しい練習がよい教育?もっとひろがりはあるのでは?」という吹奏楽への見方、教育をされているそうですごくお会いしてみたくなりました。

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