webディレクターの阿呆な研究

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自分を『形作ってもらう』という価値について

「自分のことをきめつけないでほしい!」とよく思うくせに。
他社に自分のことをみてもらい、決めて、形作ってもらう行為って、すごく自分の力になる。
最近そんなことを考えています。

見えないものが、見えて、触れる瞬間

きっかけは、ファシリテーショングラフィックとかグラフィックレコーディングとか、ワークショップデザインとか、個人でうけるために名刺をつくったこと。
(※旅行会社をやめたわけではないです、念のため!!)
6年以上一緒にお仕事してきたデザイナーさんに依頼した際、名刺と一緒にロゴマークをつくってもらいました。

自分のイメージをつたえて、形にしてもらって、またつたえて。
その繰り返しの中で、自然と自分のことを話していました。
今までのwebディレクターとしての仕事の話、大事にしてきたこと、そしてこれからやってみたいこと。

「これできたよ!」
そうして渡してくれた名刺と、ロゴマーク、コンセプトシートをレストランで読んでいるうちに。
紙の前で、思わず姿勢をただしてしまいました。
今の自分の思いと、そして自分が願う「ありたい自分がいる」がいたから。
思いも、願いも、目には見えません。
でも、形となって目の前にある。手で触れることができる。

タンジブルなものの裏にあるもの

自分が大事にしたい見えないものが、見える、触れられる、タンジブルなものになったとき、すごく人は力をもらえるのかもしれません。

実は私のグラフィックレコーディングについても、同じ傾向があって。
ものすごく熱狂的にハマってくださり、大事にしてくださる人が必ず一定数いるのです。
「azumiさんのグラフィックレコーディングに、すごく励まされた」
「力をもらった!!」
などなど。
傾向としては、ただでさえパワフルな人たちが、私のグラフィックでガソリンぶっかけられてファイヤーーーーーーー!!!というイメージです。笑

絵がたいしてうまくはないのに、なんでこんなにガソリン的な状況生み出すのか、自分でも謎だったのですが。
グラグリッド三澤さん、千葉工大安藤先生がしゃべってた中で、ヒントをいただくことができました。
「あなたの絵は、小人がうごいている」

小人・・・・・?!

小人なんやねん、と思って@yuki0426 とおしゃべりしてたところ。
「無意識的にストーリーテリング形式やってたのでは?」という結論に今なりました。

▼ストーリーテリングについて
・伝えたい思いやコンセプトを、それを想起させる印象的な体験談やエピソードなどの“物語”を引用することによって、聞き手に強く印象付ける手法
・参考:山梨県立図書館 
・グラレコだと、情報内容をメタにとらえて、メタファー使ってストーリー化することが多いかんじかも。


↑たとえば、IODD2016「SNSといじめを考えるワークショップ」で描いた、悩みをだしきった対話のその後、願いをこめて青い空へ風船をとばす(拡散する)というストーリー。


↑財政出前講座×sim福岡2030 in もばらで描いたもの。
ファシリテーター今村さんが財政課の中で見てきた事実・思い、そこからSIM2030というワークを実施して見えてきたものを『参加者』の目線からつなぎ、イベント企画者である茂原市の方々の「協働」という思いに集約し、一本の道にしていったストーリー。

などなど。
私は無意識的に情報や場全体を「ストーリーとして解釈」し、描いていたんだ!ということにはじめてきがつきました。
名刺やロゴや、コンセプトシートも同じで。
目に見える、触れるものとして形作ってもらうことと同時に、人に「ストーリーとして解釈」して未来を提示してもらうことで、人はとても力をもらうものなんだと思います。

タンジブルなものになった、その先にあるもの

とはいえ。グラフィックレコーディングのすべてがストーリーテリング的なものがいいか、というとNOで。
アダム・カヘン氏が『未来を変えるためにほんとうに必要なこと ― 最善の道を見出す技術』で論じるところの『愛と力』のうち、私は愛が強い傾向のグラフィッカーなんだとも実感しました。
対立の中で、共通を見つける力。ストーリーはその一つの形。

力とは「生けるものすべてが、次第に激しく、次第に広く、自己を実現しようとする衝動」である。
言い換えれば、力とは、自分の目的を達成しようとする衝動、仕事をやりとげようとする衝動、成長しようとする衝動である。

愛とは「切り離されているものを統一しようとする衝動」である。
言い換えれば、愛とは、ばらばらになってしまったもの、あるいはそう見えるものを再び結びつづけ、完全なものにしようとする衝動ということになる。
『未来を変えるためにほんとうに必要なこと ― 最善の道を見出す技術』

難しい社会問題にとりくむには、戦争でも平和でもない第三の方法として、集団による創造が大事とアダム・カヘン氏は説きます。
その創造には力と愛の両方が必要で、相互補完する関係なのです。

私は比較的、プロジェクトの中で引っ張る主導的な立場をとるときには、力が強めなのですが。
グラフィックレコーダーとして場に立つときには、愛になぜかよるのです。
なので、グラフィックレコーダーとして場に入るときには、(素のままの自分で入ると)「愛」が解釈として強くあらわれれるため、「力」が強い人の場で相互補完し、非常に効果を発揮するのかもしれません。

反面、「愛」が多い人の場になると、愛がたくさんあるため始まりや可能性をうみだしますが、実現には至りません。
予定調和的なかんじ。

力を見落とした愛、あるいは何らかの形を備えていない愛は、感傷的で実行力が乏しいばかりか、すでに力のあるものが力を乱用するのを助長する恐れがある。
『未来を変えるためにほんとうに必要なこと ― 最善の道を見出す技術』

そういう時には、「力」としての立場が必要なので。
意識的に、「力」のほうへコントロールした関わり方(描き方)で、場に関わっていこうと思っています。
(※他方、グラフィックレコーダーの中でも、「力」の傾向が強そうだなあと思う人もいておもしろいです。)

三澤さん、安藤先生が、無意識に自分が実践していることを、客観的に言語化し『形作って』くれたので。
その形を私はブログの文章という形につくりかえて反芻することができるし、これからは、意識的に使い分けることで価値を発揮していけるのでは?と思います。

思いや願いのようなみえないものも。
形作ってタンジブルなものにすることで、見えるようになり、触ることができる。
見えるし触れるから、コントロールもできるようになる。
コントロールできるようになることで、思考と行動の方向性がいっそうクリアになり、価値をさらに発揮することができる。

IAやグラフィックレコーディング、ファシリテーショングラフィック、ワークショップデザインなど、可視化を含む『情報デザイン』にかかわるものとして。
形作ってもらったコンセプトや名刺の重さを肝に銘じ、一個ずつの現場を大事にしていきたいと思います。

グラフィックレコーディング、グラフィックファシリテーター、ワークショップデザイナーの役割を表す3つのパーツで構成。
ひとつのものが鳥にも花にも見えるところには、偏ったものの見方をせずに、多種多様な意見をひとつにまとめあげるという意味がこめられています。

【鳥】
物事を俯瞰してみる鳥の目
場の全体を見渡しグラフィックで促していくことの比喩
くちばしはマーカーのペン先

【花】
花開くように
(今回デザインいただいた、コンセプトシートより)

このブログもあわせてデザインかえていこう~。
うおー身が引きしまる!!

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