「Webディレクターが人間中心設計学んで、役に立つんですか?」
ある日、同僚からそう質問を受けました。
「だって現場から遠いじゃないですか、どう活かしたらいいのかがみえづらくて・・・」
たしかに、そのとおりだなと思います。
webサイトをつくる現場からだと、人間中心設計はどこか遠い、アカデミックなものなように感じてしまうのです。
反面、一定数学ぶ人が毎年でてきており、産業技術大学院大学の人間中心設計履修証明プログラムは、1日で申込が締め切られてしまうくらい。
なぜそんな「現場と関係なさそうなのに『学びたい』になるのか?」「どんな役にたつ?」という問いは、至極まっとうなもののように思うのです。
私はそのとき、うまくこたえられずもやもやしてしまったのだけど。
学んだ身としてちゃんと言語化はしておこうと思い、記事に書くことにしました。
webサービス運営の現場で働いているWebディレクターが、人間中心設計(HCD)学ぶということ
だいたい、webサービス運営の現場で働いているWebディレクターが、人間中心設計(HCD)学ぶということに関しては、私は以下のような所感をもっています。
▼個人的な所感
- UI/UXの役割を担う人にとって、人間中心設計の学びは『一部必要な技術要件はあるけど、それは人間中心設計のほんの一部である』。(図の「UI/UXに求められるトコ」のライン)
- 人間中心設計を学ぶときには『技術』と『判断』両方を学ぶ必要があり、ハードルは低くはない。(図の『技術』の山と『判断』の山)
- 人間中心設計のうち『判断』を学べないと、あきらめて立ち尽くすか、実際の現場で手法おしつけマンで不全状態=役に立ってない人になる。(図の『判断』の山のまでたちつくす人がでてしまうとこ)
- UI/UXを学ぶことと、人間中心設計を学ぶことの間に、目指すところ(ゴール)の違いがある。(図の小~中山たくさん歩くルートと、高山ルートの違い)
- 「Webディレクターが人間中心設計学んで、役に立つんですか?」は、目指すゴールによって大きく違う。
UI/UXの役割を担う人にとって、人間中心設計の学びは『一部必要な技術要件はあるけど、それは人間中心設計のほんの一部である』。
UI/UXでやってて問われるのって、ユーザビリティの部分が多い印象。
HCDプロセスの中での『評価する』、そしてそこから出る矢印の先の『解決策作成』部分ですね。
じゃあ誰が調べて企画するのか?というと。
「これだけ自社の製品をうれば、売り上げがみこめる」という製品ありきなロジックのもと、マーケティングデータが用いられ、KPIにもとづいた足りない数値部分をどうにかするための事業側での施策案がだされる・・・・など、定量的なところが多いのではないでしょうか。
サイトなりアプリなり、web業界だと分析できる数字が即座にだせますし、共通でみる指標となりやすいし。
反面、定性的なところは数字のように即座にとりえるものではなかなかないので、その時点で分が悪いな~と思います。
本当は『どこが悪い(定量)⇒それはなぜか?なぜユーザーはその行動をしたのか?(定性)』といけると、非常にweb業界での検証がはかどるのですが。
「それはなぜか」がわからないけどとりあえずそれっぽい仮説たててGOせざるをえない、GOした結果をみて考えようぜ、というのが、私含め多くの現場での実情ではないでしょうか。
製品ありきでつくるものが決められる。
「それはなぜか?なぜユーザーはその行動をしたのか?」の検証、重要には扱われない。
そんな現場だと、人間中心設計のプロセスの冒頭である『調べる』『企画する』は抜け落ちており、『解決策作成』『評価する』の一部のみがワークフローに活きる状態となるので。
UI/UXの役割を担う人にとって、人間中心設計の学びは『一部必要な技術要件はあるけど、それは人間中心設計のほんの一部である』
と私は考えています。
人間中心設計を学ぶときには『技術』と『判断』両方を学ぶ必要があり、ハードルは低くはない。
『技術』とは一見手法のことにみえるのですが。
何もない中で手法をたくさん学ぼうと思うと、たいていおぼえきれず、心がおれてしまいます。
なので、手法を学ぶのではなくて、その奥にあるコアな部分を学んで体にたたきこめ、というのが『技術』習得の鉄則です。
まずこのコアの部分を学ぶ、ということ自体が独学だと難しい部分です。(図でいうとSTEP1)
人間中心設計のプロセスの話については、産業技術大学院大学での安藤先生のHCDプロセス論がとてもよいと思います。
手法を学ぶのではなく、その手法の背景にあるものが何なのか?を問うのです。
また『判断』とは、実地=本番でどう導入するか、という点。(図でいうとSTEP2)
技術を身につけられたとしても、その現場の状況に応じてアレンジできるかというと全然別なのです。
「見ず知らずの楽器を、教則本をみていちから覚えようね」「いちから学んだものを、本番でアレンジして演奏しようね」といわれてもまあまあ心がおれるのと同様に。
独学はけっこうしんどいなーと個人的には考えています。
会社での先達なり、先生なり、師がいたほうが非常に学びやすい環境にはなると思います。
人間中心設計のうち『判断』を学べないと、あきらめて立ち尽くすか、実際の現場で手法おしつけマンで不全状態=役に立ってない人になる。
技術を身につけることはできたとしても。
現場でどうアレンジしていくか、という『判断』が身につかないあまり、人間中心設計を学んでもどう活かしていいかわからず立ち尽くす人が一定数いるな・・・とは思います。
でも立ち尽くすならぜんぜんまだよくて。
困るのが、手法おしつけになる人です。
状況に応じたアレンジをしないで、手法の正しさ=正論をのべると。
まわりは正しさを理解するけど、あまりの現実の乖離があることも目の前にして、どうすればいいのか、とても困るのです。
UXデザインのUXが悪い、といわれるゆえんですね。
こうした不全な人が組織にいると「人間中心設計学んだ人がいても役にたってるように見えない」と思われるし、「むしろ害じゃね…」といわれてしまうことも。
「Webディレクターが人間中心設計(HCD)学んで、役に立つんですか?」という質問をする数割の人は、おそらく上記のような経験をしたことがあるのではないかな?と思います。
UI/UXを学ぶことと、人間中心設計を学ぶことの間に、目指すところ(ゴール)の違いがある。
UI/UXは『webやアプリをどんな風に作るか?』。
人間中心設計は『デザインの視点から、プロダクト・プロセス・組織・ビジネスをどうつくるか?』。
そもそも、ゴールの違いがあるという点が、現場でUI/UXをやっている人から見ると見えづらいのでは?と思います。
UI/UXの場合、『webやアプリをどんな風に作るか?』というゴールをめざす道についてたとえるなら。
小~中くらいの山を、とにかくスピーディーにたくさん登っていくことがもとめられる登山道のようなかんじでしょうか。
人間中心設計に含まれる『解決策作成』『評価』もその中の一つの山にすぎません。
(UI/UXの登山道、人間中心設計の登山道と途中まで一緒だから、みんな混乱してしまうのです!)
UI/UX登山道で出会う、代表的な山のパターンこんなかんじ。
・最新のフロントエンドの技術トレンドをおうこと
・技術の発展に伴う、最新のデザイントレンドをおうこと
・いかにユーザビリティ担保し、操作性(さわったときの感触)によいかんじにするか
・いかにリリースしたものを評価するか(ABテストとか、ログ解析とか、たいていは数字中心)
・いかにつくったものを素早くメンテするか
最近はまじでフロントエンドの技術トレンドが早すぎて(のぼる山がおおすぎて)みんなひーひーいっているのではないでしょうか。
このトレンドをおう技術者として、UI/UXが求められているというのは、個人的にはとても納得感があるなーと思うのです。
人間中心設計の場合は、『デザインの視点から、プロダクト・プロセス・組織・ビジネスをどうつくるか?』をたとえるなら。
富士山とかそれ以上の山など、高山に上る登山道のようなイメージです。
ある程度のぼると、むき出しの岩山とか、垂直の崖とかでてきて、普通に考えると登れない系。
組織の中で人間中心設計を実施しようとすると、工数の制約や意思決定の制約、経営の制約、多々障壁があらわれます。
普通に挑むとまあ無理なので。
どうアプローチしていくか、というのを常々考える必要があるのです。
考える手法としては例えば以下。
・先人の切り開いてきたルートを歩く
・登る距離を短くして、少しだけのぼってそのあとどう進むか考える
・想定していたものと別のアプローチをとる(現場での浸透が難しいので、社内教育として外部の人をいれて教育とか)
・進まず、時がくるのを待つ
・今まで進んできたルートをあきらめて、まったくもって別のルートを選択する(会社をやめるというのも選択肢となる)
「先人の切り開いてきたルートを歩く」については、組織によって有無本当に異なるので。
ついていきたい先人がいるところを選ぶ、というのが最もよいのでは?と思います。
最近だとすてきだなーと思ったのがDMM。
実際、源さんも井上さんもお会いしたことあるのですが、組織を形作ってきた父さん母さんはまじリスペクトに値します。
「こういう人に使ってもらうためにはどうするべきか」とか、「ユーザーが実際にはつくり手の想定外のところで使っている原因を明らかにする」みたいな課題の場合、「ものを選ぶ=プルダウンかラジオボタンか」って固定した考え方では解決できない。「そもそもユーザーがものを選ぶって何だろう」っていうところに立ち返って、本質を捉えながらデザインしていく必要があるんです。
(中略)
世の中にないサービスを次々と生み出しているDMM。
前例のないもの、ユーザーが満足するものをつくるためには、見た目だけでなく本質を追求する必要がある。
だからこそUXが求められているんですね。
DMM.comラボ デザイナーズブログ デザイナーなら必ず知っておきたいデザインとUXのはなし
「Webディレクターが人間中心設計学んで、役に立つんですか?」は、目指すゴールによって大きく違う。
自分が、『webやアプリをどんな風に作るか?』を考えるために、小~中くらいの山を、とにかくスピーディーにたくさん登っていくことがもとめられる登山道で進みたいか。
それとも、『デザインの視点から、プロダクト・プロセス・組織・ビジネスをどうつくるか?』を考えるために、高山に上る登山道のようなところを進みたいか。
もうこればかりは、その人によるとしかいいようがないのではないでしょうか。
製品を中心としたグッズドミナントロジック的な会社で、UI/UXの業務を実施し、社会と関わっていきたいなら。
学ぶべきもの、方向はもっとたくさんあると思います。
(人間中心設計の高山登山の中で、崖をのぼったときの道具をUI/UXの現場で使うことで「なんでこれ解決できるの?!」というかんじのフィードバックをもらったことはありますが、まあそれは幸運な例ということで。。)
反面、製品提供だけではなく、ユーザーをとりかこむ全体像をみて社会と関わっていきたいのら。
人間中心設計を学んだほうが視点が圧倒的に広がるので、学ぶことを強く推奨します。
ただ、人間中心設計は学ぶと「業を背負う(by 2016年度産技大受講者の方々)」ことになります。
人間中心設計は、ひとつの文化(=生きる工夫)だと思ったほうがいいです。
製品を中心としたグッズドミナントロジック的な文化と対比する、サービスドミナントロジック的な文化。
文化が接触すると人やモノが移動し、あらたな摩擦がうまれます。
多くの人は、その摩擦の中に身を投げ出すことともなり、結果的に新しい文化に近いところで生きていきたいと決めて自らが移動する等、人生の流れを大きく変えるきっかけになってしまうのです。
事実、私の同期の1/3は履修証明プログラム中に転職をしていきました。
びびりましたね、この力。まじで業としか思えない。
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なお、『技術×判断=スキル』という話をしてくれたのは、産技大での浅野先生の授業でした。
この『判断』の部分を養うためのあれこれは、実は授業というより、酒場で先生達から学び取った、といっても過言じゃないかも。
先達のアレンジした登り方、判断基準を見て、自分も盗む。
産業技術大学院大学の人間中心設計履修証明プログラムは、8月頃から募集をはじめるそう。
ぜひ今年も、多くの人が人生を変えるような出会いをつくってくれるといいなーとほくそえんでます。
我々と一緒の業を背負って楽しく生きようぜ!!
(うっかりUI/UXを極めるために産技大にいってみたら、気づいたら高山登山ルートの人間中心設計に勢いで登ってどハマりした先輩より)
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