ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

Read Article

共創学会に行ってきたよ!~秩序とカオスのはざまで踊り狂う、共創のファシリテーション(2)~

12/10(日)に開催された、第1回共創学会年次大会レポ第二弾です。

第一弾では、ファシリテーター=『すきまをひろげる人』という話を中心に、広がったすきまが生みだす様々なものについて書きました。
第二弾では、『すきまをひろげる』ことと、そこから価値を創出するための取り組みについて、考えていきたいと思います。

芸術的な価値と、社会福祉的な価値のあいだの『共創』に必要なファシリテーション

中村先生のさっぽろコレクティブ・オーケストラの発表で話されていた、芸術的価値と社会福祉価値(参加促進)の2つ。
の二つの価値が重なる部分が共創によって生み出される価値で、「じゃあ価値をうみだすために、その間の部分でどんなファシリテーションをするといいの?」というのが論文の問いの根幹であると捉えました。

この問いに対して、中村氏は以下のように述べられています。

また,「大人が枠を与え,子ども達がどういう音を出すか考えていく」という方針は,共創のコミュニケーションを生み出すのに重要なものとして機能した.
(中略)
しかし,SCO で興味深いのは,「音を生き生きとさせる」という芸術的な価値を高める行為が,「子ども達が生き生きと振る舞えるようになるようにする」という社会福祉的な価値を高める行為と密接に結びついていることである.音楽のクォリティーを高めることが,子ども達のエンパワメントとイコールで結ばれているのである.(中村 2017)

図にまとめると、こういうかんじ。

この図中にある、2つの丸が今回のポイント!
右側はファシリテーションの基本項目。
左側は、価値を創出したい分野で、知恵や技術が必要となる部分です。
この知恵や技術を体得し実践していく過程が、生き生きと振る舞い参加を促すこととイコールであるという状況、実は他の分野でも同様に存在するのではないでしょうか?

私は中村氏が研究されたさっぽろコレクティブ・オーケストラと非常に類似するパターンだな、と思ったのが、サービスデザインの現場における実践です。
先ほどと同様に図にまとめてみました。

いずれにおいても大事なのは、
・枠組みの策定
・『参加促進するためのファシリテーション』と『価値を生み出したい分野の知恵や技術』の両方が必要である

という点です。

サービスデザインでいうなら、さしづめ
・プロジェクトマネジメント
・『参加促進するためのファシリテーション』と『サービスデザインのスキルとスキルを活かす経験』の両方
といったところでしょうか。

サービスデザインの現場に立っていると、うみだされたサービスの価値創出と同時に、組織文化も変容し、結果従業員(プロジェクトに関わる人)もエンパワーメントされているという状況に気が付くシーンが多々あります。
話す会話で『顧客』が主語になる回数が圧倒的に増えていたり、ともに議論を繰り返す中で共通の価値創出にむけて支援しあう行動が見れたり、顧客から視点が外れてビジネス的な視点からのみの発言がなされると参加者間で軌道修正が行われたり。
そうしたシーンにおいてどれも悩みながらも、でも同時に、とても楽しくプロジェクトメンバーは関わっていたのです。

多様な分野での『共創』に必要なファシリテーション

共創のファシリテーションに必要な、以下のポイント。
・枠組みの策定
・『参加促進するためのファシリテーション』と『価値を生み出したい分野の知恵や技術』の両方が必要である

『価値を生み出したい分野の知恵や技術』が違うがゆえに、ファシリテーターの関与方法(ビジュアルを用いた場合のアウトプット含む)も異なる部分が多々あるなと個人的には感じています。

図にするとこんなかんじ。

※選択している分野は、なんとなく自分のまわりにファシリテーターが多い分野を私が選んだものです。他のシーンでももちろんある!
※分野の位置関係は、なんとなく近いものを近くにしていますが、内包される要素を考えたらこのプロットではなくなるはず。

この図から私が述べたいポイントは3つ。

  1. ファシリテーション(参加促進)という意味合いで共通する項目はどの分野でも存在する
  2. 分野によって、共創のために大事なことは共通で存在したり、異なったりしている。
  3. 共創して価値をうみだすために『大事にするもの』が異なるため、場に対し必要な関与方法(枠組みの策定、達成するプロセス)が異なる

というわけで、よく聞かれる「ファシリテーションってどうすればできるようになるの?」という質問については、私は以下のように答えられるのではないかと考えています。
・自分がファシリテーションを活かしたい現場はどこか?を定める
・その現場の分野で大事にされるものを学ぶと同時に、参加を促進するファシリテーションを学ぶ。

※価値の創出のためには、両方学んでいく必要がある。どちらかだけ学んでも、価値創出するためのファシリテートはできない点注意。

また、「グラレコとかファシグラ描く人って派閥あるんでしょ?」というような質問を何故かうけることがあるのですが、その問いに対しても上記の図をもとに応えることができるんじゃないかな、と感がています。
・関与方法が目に見えるのがグラフィックである。しかし、その生み出されたグラフィックは「いま、ここ」のものであり、「いま、ここ」を共有していない状況や関与を他者が読み解くのは難しい側面もある
・存在するのは『派閥』ではなく、分野などの『利用文脈の違い』ではないだろうか。

例えば、私はファシリテーションを学んだのが『NGO(市民活動)の運営』の系譜だったので。
・市民一人一人を大事にする=どんな内容でも、でてきた意見や感じたことを書く
・組織運営のためという文脈なので、次の活動にむけて、議論を構造化する必要がある
という状況でした。

ただ、『デザイン』という文脈になると、大事なことは違います。
・出てきた意見のすべてを書く必要はない。ユーザーの体験が伝わるようにとか、ビジネスのバックヤードを議論するためとか、目的に応じて大事なものが変わる
・サービスやプロダクトを生み出すのためという文脈なので、次の活動にむけて、議論を構造化する必要がある。また、美的な美しさも求められることもある。
・プロトタイプなど『時間内に完成させる』のが大事。目に見える形にならないと、それをベースにした次の活動ができないので。

また、現在担当している防災減災のワークショップなど、『対話』の場だとまた大事なことは違ってきます。
・多様な市民一人一人を大事にする=どんな内容でも、でてきた意見や感じたことを書く。特に、『思い、今かたりたいこと』がとても大事。
・語り合う、聴き合うことが大事なので、描くことすら必要ない場合もある
・AoHのハーベスティングチームのように、これまでみんなが見てなかった視点でのフィードバックとか、論点の提示が必要なときも。

きっと、組織開発でも、アート系のワークショップなどでも、大事な点が様々。
でも、どこかで道が必ずつながっているともいえるのです。
このへんの話は、visual facilitation forum 2017の開会宣言にて、私がとても伝えたいと感じていたことでした。

ビジュアルファシリテーションフォーラム2017 オープニング&クロージング from Azumi Wada

秩序とカオスのはざまで踊り狂う、共創のファシリテーション

さてさて、ファシリテーションが求められているビジネスの現場について多々書いてきましたが。
秩序だったビジネスのシーン(デザインであれば、グッズドミナントロジックの会社)においては、実はこうした『すきま』というのはあまり長年必要とされてこなかったように思います。
価値は提供者である企業が決めて、商品(モノ)を顧客に販売し、提供してきたから。
『すきま』の必要性よりも、商品(モノ)をたくさん作って売る仕組みのほうが求められてたのです。

だけど、モノが飽和し、テクノロジーが圧倒的なスピードで進化し、人々が多様化している現代社会において。
多様な主体と共にうみだす『すきま』こそが、企業には必要な部分であり、その『すきま』をあえてうみだそう、そこに入り込もうとしているのが共創学会の今回の狙いなのかな
と感じています。

このへんの感覚は、Art of hostingのケイオディックパスをあえてつくりだそうとしている感じに似ています。
コントロールされていたり、秩序だったところの中から、あえてカオスの方向へ動き出す行動をすることで、カオスと秩序の間にいるケイオディックパスを作るのです。


Day2 Art of Hosting Ayabe 2017 Kyoto, Japan – Art of Hosting Japan より引用

カオスと秩序の間にいるケイオディックパスを歩むことで、私たちが目指したいと切実に願っている場所。
それこそがイノベーションであり、同時に、そこへ行くための道のりそのものなのかなとも感じています。

混沌としている社会において、イノベーションへ向かう道のりが、豊かで実りあるものであれば人間(やそこに関わる生き物)は幸せな気持ちで生きて行ける。
イノベーションを目指した結果、途中で失敗したとしても、その道のりが豊かであれば、人間は幸せで、歩み続けることができるのかもしれません。

『われわれが共創するのは達成するためではなくて、共創するためだ。(三輪 2017)』

三輪先生がおっしゃっていた言葉。
「いやビジネスなんだから、達成大事ですよ!!」とは思うのですが(笑)。
共創すること、『すきま』をつくりあうことは人間として根源的な欲求であり、その欲求のためにもしかしたらビジネスをしているのかもな(=だからビジネスが誰にとっても持続可能になってないと困る!)とも思うところもありました。
だから傍から見ると、自分は楽しく踊り狂ってるように見えるんだろうな。うん。

参考文献

  • 三輪敬之, 西 洋子, “共創に他者は必要か:実践と理論のあいだ(1)”, 第1回共創学会年次大会, 2017
  • 中村美亜,”さっぽろコレクティブ・オーケストラにおける共創ファシリテーション”, 第1回共創学会年次大会, 2017
URL :
TRACKBACK URL :

Leave a Reply

*
*
* (公開されません)

Facebookでコメント

Return Top