ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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『地域で描く』から見えた、当事者デザインの現場

「地域で描くことと、東京で描くということは、違うように感じる」
ビジュアルファシリテーションフォーラムを終えたあと、牧原ゆりえさんとお話した際、そんな言葉を伺いました。

場の中で描いていくことについて、私は「富士山登頂のルートは多様で、見える景色も大事にしたいものも様々。でもいつか頂上で出会う」と私は捉えています。
じゃあ、今、『地域で描くこと』『東京で描くこと』このルートの違いは何なのだろう?
私は『東京で描く』人だけど、なぜ『地域で描く』人に惹かれ、一緒に動きたくなるのだろう?
そんなことを考えたくて、1/27(土)、Graphic Harvesting Practitioner Gathering -地域で描くことの可能性を探るーというイベントでお手伝いをさせていただきました。

↓当日のグラフィック。

『土の人』としての、篠田さん・梯さん

今回のスピーカーは、千葉県茂原市役所の篠田さん、福岡県古賀市/上毛町の梯さん。
(梯さんはインフルエンザで参加できず状態だったのですが、音声+スライドで参加に!)

二人の話で共通していたのが、『自分がどうにかしたいと思う地理的な場所』が起点になっているということでした。
篠田さんは茂原市、梯さんは上毛町。
地域を支える人でたとえるなら、お二人は『土の人』なのです。
『土の人』とは、そこに居続ける存在。土に根を張って、活動しつづける存在です。

↓国土強靱化ワークショップ広島会場 の永田さんのお話のグラフィックレコーディング

同じ土でも、篠田さん、梯さん、違いも感じられました。
篠田さんは、『水の人』としての役目=市役所職員としての業務も同時に持っているのです。
例えば、地理情報システムを活かすための業務だったり、市民協働のための様々な講座を市として開いていらっしゃったり。
(時に、『風の人』をつれてくる役目もされています)
他の『土の人』が活動しやすいよう支援する側にもいる立場です。

梯さんは、自分が大事にしたいと思った部分に根を張って、小さな声をひろいあげて形にしていく土でしょうか。
自分のいる地域で「説得のため」と感じられた話し合いの場に疑問を持って、大事なことを話せる場をつくったり。
自分と縁の深い災害にあった地域のお母さん達の思いを描いて、何が必要なのかを考えて、次の行動を促したり。

彼らのこうした一つ一つの行動を聞いて描いていく中で、一つ考えたことがあります。
『地域で描く』ことに最も大事なことって、実は『描く』スキルではないのではないか。
そして、ここが一番、東京のような都市で描くことの差ではないのかなと。

『地域で描く』ことに最も大事なことは、『描く』スキルではない?

『地域で描く』ということは、その土地に根差しているということ。
土地に根差しているからこそ、見える、聞こえる、感じられる、そんな声がたくさんあるのではないでしょうか。
時にその声は、小さくて、なかなか見えづらいものかもしれません。
その声を聴いて、形にして、次の行動を促していく。

絵を描く、ということは、その効果をよりよくするためのひとつの手法でしかなくて。
この一連のプロセスを行えること・・・聴けること、寄り添えること、育てられること・・・が、『地域で描く』ことに最も大事なことなのかなと感じています。

さてさて。そう考えると。
篠田さん、梯さんの立ち位置~『地域で描く』ということ~は、当事者(による)デザインに非常に近い立ち位置だなあとデザインの立場の人間からは見えるのです。


※引用元:当事者デザインをめぐる枠組みについて 上平崇仁

たぶん、篠田さんは『with People』と『by Ourselves』の両軸に存在があり、梯さんは『by Ourselves』のほうによりいるのかな、と私には見えました。
他方、東京で、いろいろな企業や活動体から依頼をうけて描くというのは、「この時力をかりたい!」というプロフェッショナル的な立ち位置が多いです。
『For User』もしくは『with People』に近い立ち位置なのかなと。

さて当事者デザインにあたって,研究者サイドの大きなポイントは何だろうか?
上平の個人的な考えでは「タイミング」と「そこに居合わせること」である
サイクリストたちが自分たちの手でマウンテンバイクを生み出していったように,まだ産業として成立しておらず,作り手と使い手が未分化な状況において,質の高い共創は急速に起こる(Sawyer).
往々にしてそのような新しい息吹は,さまざまな理由で「デザイナーが近寄らない(富田)」フィールドの中に見出されるのである.
当事者デザインをめぐる枠組みについて 上平崇仁

「タイミング」と「そこに居合わせること」はとても偶発的。
そして、そこにそびえたつ現実、お金の壁。

【予算もない、デザイナーも近寄らない領域で当事者デザインの必要性が高まる】

そこで、近年、自分が取り組んでいる活動の公務員や研究者のための視覚化を、当事者のデザインという観点から捉え直してみることにしました。個人の創造性ではなく、組織や集団における当事者デザインについて考えようと思っています。

一般的に組織や集団におけるデザイン制作は、対象とする人の数が多く、デザインによって得られる直接的な対価が高いものほど、デザインの専門家に依頼・発注される傾向が高まります。

しかし、組織や集団にはデザインの専門家に依頼・発注するまでに行かずとも、非専門家つまり当事者によって実践される様々な創造的行為があると考えられます。それが当事者デザインとして優先的に支援すべきものであるように感じられました。
当事者デザインという言葉との出会い 富田誠

『風の人』『水の人』を呼ぼうにも、芽としては小さく、得られる対価も大きいわけではない。
どうにもならず、結局育ちきれず、立ち枯れるものも多く、それがまた無力感につながり、どうにもならないと感じる・・・というループ。

それでも。
その場所で営むことを決めて、その場所の当事者でいることをひきうける。
ひきうけて、自ら色々な方向を見て、聴いて、課題を見つけて取り組んでいく。
職業としては、行政職員、市議会議員、地域の結節点の人、NPO職員、色々な形があると思います。

彼らは皆、並々ならぬ尽力をされているように思いますし、頭が下がる思いでいっぱいです。

私はまだ、そうした領域にはいけてないのだけど。
デザインに携わるものとしては、そこを少しでも支援するという手法で関わっていけたらいいなと思うのです。

前述したプロセスを繰り返し、成果の品質や当事者の創造性を継続的に高めていくことが必要であると感じられる。
筆者はこのような、“当事者の人たちの創造性やその品質を継続的に高めることを支援すること”に、デザイナーもしくはデザイン会社の新し
い仕事の領域の可能性を感じている。現時点では内閣人事局のある部署における実装で検証しているが、他部署、他省庁での実装や、他の領域においても実施していきたい。
公務員の政策資料の視覚化における当事者デザイン支援の研究 富田誠

↑この富田先生のスタンスがとても近くて、ああ、いいなあと思います。

今後とも、市民協働の場、オフサイトミーティング、シビックテック、市民活動のカンファレンスなど、『市民』の活動現場でプロセスづくりに『描く』ことを中心に関わっていくのに加えて。
企業のサービス創出のみならず、公共分野でのサービスデザインの知見、経験も蓄えて、社会還元していけるようになりたいと思う次第です。

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