ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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サービスデザイン実践者に効くよ!『ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市計画革命-』

1日で、複数人から、同じ映画を続けて強烈にオススメされた。
同じグラグリッドのなごやんと、上平先生。
それが「ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市計画革命-」。

謎の勢いに飲まれて善は急げ、で見に行ってみたところ。
サービスデザインやる人見ると、考えさせられるワードが溢れてるいい映画だなーと思った。
というわけで、珍しく映画の感想文を書いてみる。

あらすじ

・20世紀初頭、ニューヨークでは市民の生活環境が悪化。スラムが問題視され、スラムを壊し新しい高層ビルや団地を立てることで、環境を一変させようという動きがモーゼスを中心に起こる。

・第二次世界大戦終了後、自動車が交通や物流の中心に。俯瞰した目線から都市を考えて、歩道をなくし、高速道路を町の真ん中にひいて都市環境を改善させようという動きが加速。

・住民は立ち退きを余儀なくされる。

・この状況を見たジェイン・ジェイコブズは「都市の再生ではなく都市の破壊だ」と疑問を呈した。

・ワシントンスクエア公園、グリニッジビレッジ、ローワーマンハッタン高速道路といった計画に、ジェインら市民の力で、NOをつきつけていく。

・つくられた町には理想としていた活気がうまれず、窓は打ち壊され、ドラッグが出回り、治安が最悪な状況になってしまった。
既存のコミュニティも破壊され、どうにもできない怒りや閉塞感が町を包んだ。はたして作られたのはなんだったんだろうか?

サービスデザイン実践者に効くポイント

NOという勇気と、向き合い方

ジェインが建築のプロに対し「自分はそうは思わない。都市の再生ではなく、破壊だ」そうNOという意見を言うこと。
私はサービスデザインを実践する者として、いうべき時にはいわなきゃいけないけど、でも実はすごく勇気がいる行動だと思ってる。

その道のプロに対して、プロではない人がNOというのって勇気がいる。
「人がいない道、高速道路を見下ろして、私たちは生活したいのか?」
そんな当たり前の問いが、実は、プロジェクトが進んでいると言えなくなってしまうことって多々あると思う。
でも、その直感を大事にすることは、簡単なように見えてとても難しい。
そしてそれを諦めずに周囲に伝えて声をあげることは、もっと難しい。

こうしたNOがでてきたとき、どう向き合うのか?
私がサービスデザインのプロジェクトを実施する中で、今一番苦しんでいるところでもある。

「和田はそれを失敗と思っていないか?」
先日、サービスデザインのプロジェクトでファシリテーターをしていた私に対して、IMJの太田さんがそんな指摘をしてくれたことがあった。
そのとおり!
私は、NOという声や違和感の声がでてくることに対して、「自分のプロセス関与が至らず、納得感がうすい所にたどり着く促進をしてしまった・・・」と一人ずどーーーんと凹んでしまっていたんだけど。
そのNO、違和感が出てきたときの捉え方とどう扱うかについてチームで話していくうちに、「NOや違和感がでてきたときこそ、いったん振り返るタイミング!」というのがようやく体でつかめてきた。
例えていうと、チャイムみたいなものかな。
「さあ、見直し振り返りの時間だよ!」というチャイム。

プロセスや当たり前の問いを振り返って、プロジェクト参加者の人と一緒に「どんなプロセスを私たちは歩んできたのか」「どこにいきたいのか」を考える・・・・というのが、サービスデザインのファシリテーターに求められる部分なのかも。

勇気の裏にある、「観察」

ジェインは、まちの人たちのことを観察して、まちの活気がなにから生まれるのかを洞察していた。
「二階のような低い窓から通行人が見下ろせる環境があるからこそ、たくさんの目にまもられて、24時間、歩道は安全な場所である」「人は、人がいるところを見る、というのが楽しい」「街区が短く曲がり角が多いことで相互作用が生まれる」「歩道の中で、子供は遊び場を見つけて遊ぶ」とか。
プロの計画に対して「私はそうは思わない」と言う勇気の裏には、日々のたくさんの観察が積み重なっているのが印象的だった。

その観察、人類全員ができてたらいいのに!!!

そう思いつつ、人類全員ができるとか、私のようなノンデザイナーとかプロジェクトメンバーが全員できるかっていうと、そうはならないので(笑)。
だからこそ、アクティングアウトや、プロトタイプのような、「観察している目になる機会」、「観察して『それは共感する/しない』を伝えあう機会」は、サービスデザインのプロセスで大事なんじゃないかな、と思うのだ。

「NOを言う」勇気を養うために、勇気を育てることは多分できない。
観察する力もそんな即時的には育たない。(←ここばかりは、積み重ねだと思う!)
けど、「NOを言う」機会や、「YESかNOか、もしくは判断できないか」じっくり考える機会は、つくることはできる。
そして「NOを言う」ことで場に貢献して、小さく勇気が育つ・・・というのはあると思う。

解くべき問題は何か?

たぶんだけど。モーゼスと、ジェインの持つ「理想の都市」という言葉の定義は全く違うものではないかな、と感じた。
その言葉の定義の奥には、解くべき問題をどうとらえているか?が表れているように思う。

・モーゼス:多くの人が豊かになるために、効率的に資源が配置され、整い、動いている場所。すべて設計しえる。
 →解くべき問題は「どうすると、物流や人の移動を効率化することができるか?」
・ジェイン:多くの人が複雑に絡み合い行き交う非効率な生態系。絶えず変化する。
 →解くべき問題は「どうすると、人が周囲とのつながりを持ち、孤立せず生きられるか?」

おなじ「都市」についても、定義も、解くべき問題も、全然違う。
でも、つい、デザインに関わっていると、「設計できる」って思ってしまう。
理想はこう!と思ってしまう。
無意識的に、アイデアに人をあわせようとしてしまう。
なんなんだろうねえ、これ。

映画の中では、「見るからに整っていて予測可能な都市はある意味で美しいが、その都市は死んでいるといえる。生きている都市は混雑していてストレスがたまるが、夢がかなう場所でもある。」といわれていた。
この言葉、サービスデザインのためにもっと自分でかみくだきたいな、と思ったのでした。

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