ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

Read Article

公共とデザインについて話し合う会~パーソンズ美術大学の橋本さんの留学ストーリーから~

『「公共」と「デザイン」について話し合う会』に参加してきました!
オンラインでNYにいる、経済産業省橋本さん@パーソンズ美術大学のお話を伺い、ディスカッションするという会。

メンバーはこんなかんじです。
・田端さん @ttosh0902
・川地さん @Mrt0522 さん(残念ながらお休み・・・!)
・専修大学上平先生 @peru_g13
・東海大学富田先生 @tomitamakoto
・伊藤さん(産業技術大学院大学人間中心設計履修証明→イリノイ工科大学で学ばれたそう!)
・橋本さん@パーソンズ美術大学 NY @gichou
+わたし

@publicanddesign の周辺にいる人たち、なのかな。

ここでは、この会のスケッチノートと、自分が気になったキーワードや印象的な話をいくつかあげていきたいと思います。

1:橋本さんのバックグラウンド

橋本さんのバックグラウンド(経産省でのご活躍や、その中での活動されてきたこと)については、橋本さんのブログ「行政官デザイン留学記」に詳細が記述されているのでぜひそちらにて!

「どこまでデザインを理解しているのか?」という問いは、ノンデザイナーがデザインに関わるときに、やればやるほどつきまとう問いだと思っています。
デザインを行うデザイナーと同じ理解、では絶対にないだろうし。
私自身、まだまだ理解は途中だと思うし、ずっとずっと追い続けるものなのかもなーと思いました。

そして印象的だったのが、大学の選び方の部分。
橋本さんの視点から見て、「イリノイ工科大学:デザイン思考を現場に落とし込むことを大事にする」「Persons:クリエイティブを中心に据えて、インパクトをどう与えていくのか?が主眼(スペキュラティブデザインのプログラム)」と感じられ、自分がもとめるのは後者だと感じたそう。

2:Personsはどんなところ?

橋本さんの話を伺って、私はPersonsのPBL的な授業が特徴的だなーと感じました。
特に、評価の部分!
・プロジェクトベースで授業が行われるものがある
・そしてその評価は「それによってどのような変化がおきたのか?」
・とはいえ、数か月の短い期間なので、評価においてはプロセスやポテンシャルが見られる

また、視点として、サステナビリティへの視点がとても当たり前に含まれているようにも感じました。
「人間中心というより、地球中心」。
そういえば、今のサービスデザインの潮流で、この点てどう扱われているんだろう・・・?

ServDes. 2018 レポート2〜 いま、サービスデザインの視線の先にあるものとは?〜で、玉田桃子さんのレポートで印象的だったのがこの部分。

「オンラインだろうが、オフラインだろうが、サービスの授受に関わる人間の気持ちが、置き去りにされている。もしくは、カスタマー側だけに力点が置かれ過ぎている。それは、双方向のものであるはずなのに、片方の矢印しか議論されてなくない?」
ServDes. 2018 レポート2〜 いま、サービスデザインの視線の先にあるものとは?〜

ここでいう、閉じていた目って、実はもう一個あるのではないのかな?と思ったのです。
それはもはや、目と表現していいのかどうか、わからないけど。

3:帰国後と、これから日本で考えていきたいこと

Artの位置づけについて、参加者一同感じるとこを話し合ったところが印象的でした。
・炭鉱のカナリアでは?新しい変化を察知する者
・課題をあぶりだすもの
・言葉にならないもの
・ぶっとんだ、まったく違うもの。現場を見て、感性(気持の悪さ、とっかかり)から生まれるもの

などなど。
この中で、世界のエリートはなぜ「美意識を鍛えるのか」~経営における「アート」と「サイエンス」~では『超論理的で説明できないもの。企業の意思決定において説明可能な「サイエンス」「クラフト」に押されてしまいがち』と語られていた、と私からも参加者へ共有しました。

また、この本には、「美意識を鍛えるには?」という問いがあります。
そこで挙げられていたのが、絵画をみて観察眼を鍛える、見て感じて言葉にする、脱パターン認識、文学を読む、詩を読むといった行為。
根底にあるのが、観察すること、感じること。頭でパターン認識をするのではない、ということ。

うう、課題解決中心の思考の持ち主だと、思考パターンを変えていくのが大変です!!
観察して切片はだせるんだけど、そこから既存パターンにハメて考えがちなのです。
KJ法失敗あるある、ダメ~なアンチパターンです。
KJ法だと「あ、これアンチパターンだ」と感じられるのに、現実社会だと気づかずにやってしまう不思議。嗚呼。
(そして橋本さんも、この思考パターンの切り替えが大変だとおっしゃっていました。同感!!!)

「デザイン×公共、いかに社会に実装していくのか?」
ここで、今の日本についての感じている危機感が溢れ出てきました。
「社会システムのアップデートが間に合ってない」「ゆでがえる?」「失敗を許さない」「育てられ方が違う」etc…
私自身、全然偉そうなことをいえる立場ではないんだけど(汗)

社会デザインは時間とともに劣化し、社会的ニーズに応えられなくなっていく。社会デザインはアップグレードを行うが、多様な考え方がある。

早田宰(2018),社会デザインを再定義する,社会デザインと計画論の未来

「大きな変動の中で変わりゆく社会。ここ、市民の力でアップデートしあおうぜ」というのが、社会デザインの思想でもあるんだけど。
じゃあ、エンジニアがOSSのプロジェクトで行うように、開かれた場でコミットしあう、レビューしあう、アクセプトする、というような状況なのかというと・・・・うーん、なんか私はいち市民としては社会、とくに政治については「自己効力感がないなあ」と思うのです。

”安藤昌也さん”のUX論 ~ 利他的な「私」 from Masaya Ando

SEPIA法で見ると、『ミニマム利用ユーザー』。
一応、人生の中で選挙権を持つ居住地の選挙はすべて投票しているけど、すべての候補者を理解し解釈してるかというと、正直NO・・・。
購買行動も、お金の流れを意図的に変えているのは、パルシステムの利用と、昔お世話になった環境NGOへの寄付程度です。
操作の自信もないし、日々の関与も高いとはいいきれません。。

このへんは、これから手を動かしていく!と腹をくくっていくのだと思います。
そのためにも、今日このメンバーと話せたことはよかった。

4:次はパーティーしよう

日本の政治の在り方を変えるために、政党を作ってはという話でひとしきり盛り上がった後。
「パーティーしよう!」でこの会は締めくくられました。
↑お気楽そうに見えますが、相当濃い議論をする場となるかと思います・・・・

デザイン×公共を考える、というと、私は自分自身、大きなことを言ってておこがましいなあと思います。
社会の根深いところ、問題に切実に、生きるテーマとしてもっているかというと、決してそうではないし(だから私はミッション重視のNPO職員にはなってはいけない、と思っている。心の底から大事にしていることでないと、関わる人すべてに失礼になるから。)

ただ、そういう大なり小なりの違和感を抱えつつ、違和感を見なかったことにして、目の前の自分の生活や仕事にだけ集中していると、どこかなんか忘れものをしたような気持になるのです。

失敗できない、閉じられたヒエラルキーの中で、依存先を一個失うと全てが崩壊するかのような社会的な関係性。
楽しくない。生産的ではない、死んだ目をした会議。
自分が窒息するレベルで息苦しかったところを再生産したくない、という思いが根底にあるのかもしれません。

これからもう少し、ゆっくり話しながら、手を動かしていきながら、考えていこうと思います。

URL :
TRACKBACK URL :

Leave a Reply

*
*
* (公開されません)

Facebookでコメント

Return Top