「とりあえずUI直せば、どうにかなるんじゃないか病」が私の周りで流行している。もちろん私も何度となくかかっている。
この病気のはじまりは「目的を達成できないのはUIがいけてないせいだ!UIをとにかく今じゃない何かに変えれば問題は解決する」と思っちゃうことにある。
「資料請求者増やすために、かわいいデザインにしてほしい」
「申込者数ふやすために、AとBとCとD、あとEもFも追加したい」
ちなみに「その根拠は?」ときくと。
「今だと自分たちが伝えたい情報が足りてないと思うから」
共通するのは、「とにかく今じゃだめなので、今じゃない何かにしたいからUI変えたい」という点。今じゃない何かにしたいのはわかるが、根拠が主観的すぎて成功する見込みがつかないのが困ったところ。
もちろん私も時にこの病気にかかり、ほんとにプロジェクトをすすめていいかどうか、どーしていいかわからず懊悩することも多々ある。というわけで、私なりに病気の定義と、自己治療法もなんとなく見つけたので、自省もこめて記録しておく。
「とりあえずUI直せばどうにかなるんじゃないか病」の主症状2点
根拠が主観的すぎて説得力がなく、社内を巻き込めない
本人が主観にもとづき「目標達成にはかわいいデザインが必要です」といってても。「かわいいデザインにすることで目的達成の見込みがある」と関係者が価値を認識しなければ、社内をまきこめず、プロジェクトは進まないのだ。
私は営利企業に務めてるので、営利を生み出す見込みが感じられないプロジェクトより、営利を生み出す可能性のあるプロジェクトに人的リソースをあてる判断をしなければいけない。「取りあえずUI直せばどうにかなるんじゃないか病」の人(罹患してる自分も含める)には申し訳ないけど、限られたリソースの中では、必然的に、この病気の人が出した説得力がない案件は後回しせざるをえないのだ。
目的達成の可能性が低い仕事をしがち。
さらに。「取りあえずUI直せばどうにかなるんじゃないか病」は、こじらせるととにかく成果がでるまでUIを変えまくろうとする。その結果、成果はでず、何をしたいのかわからない人レッテルを社内の人からはられてしまう。ユーザーの利便性向上にも全くつながらない。本人の労力も社内のリソースも無駄遣いとしてしまうのである。
この病気にかかる理由
理由はかんたん!目的(資料請求者数アップとか購入数とか)とUI改善をつなぐ根っこがないから、だ。
いきなり「会議の効率が・・・」と自分の関心をぶつけても、相手の関心がそこになければこっちを向いてもらえない(中略)
提案者はつい、「いかに自分の提案がすばらしいか」を力説したくなる。しかし、相手の関心はそこにない。「その提案って私に直接関係あるの?あるとしたら、採用した場合、私にどんんなすばらしいことが起きるの?」身もふたもない言い方だが、相手の関心はそっちだ。
数字目標を達成するためのプロジェクトを推進しなければいけない立場の相手に対し、かわいいかかわいくないかは、価値判断の外にある。大事なのは、「人的資金的リソースをさいて、数字目標を達成できる可能性あるか?」の一点につきる。
「取りあえずUI直せばどうにかなるんじゃないか病」を例えると。高熱になったとき家にあるバファリンを服用すれば必ず元気になる、と盲信してる人と同じ。高熱の原因が単なる風邪ならよいが、インフルエンザや肺炎、他の感染症にともなう高熱の可能性だってある。万一インフルエンザの場合、バファリンだけのんで外出なぞしようもんなら、自分の体調は悪化するばかりか、周囲まで感染の危険にさらすこととなる。
高熱の状態を改善するには、まず医者にいって、高熱の原因がなんなのかを調べてもらい、適切な処置をすることが必要だ。その結果、処置内容はバファリンかもしれないし、インフルエンザ用の吸入薬かもしれない。処置内容がなんであれ、目的と処置をつなぐ根っこがあれば、目的達成にはかなり近づける。
治療方法:目的とUI改善をつなぐ「根っこ」の構築(指標と仮説を考える)
Nurse Duck with Clipboard / jdsmith1021
UI改善の根拠をきくと、「競合の他社がやってるから同じようにすればいいと思った」「私は今の画面はみづらい!」という根拠がでてくることがある。こういう場合、根拠はその担当者が感じたことのベースでしかない。もちろん、担当者の主観は必要だけど、主観に頼るのは危険だと思う。高熱のとき、「前回はこの薬で治ったから今回も大丈夫」と判断してしまうのと同じ危険性をもっている。
根っこに必要なのは、主観的な判断ではなく、客観的な根拠にもとづく判断だ。webサイトであれば、ユーザーのトラフィック状況、実際の申込者の声、申込の内容など。ユーザー動向が、指標となる。この指標を客観的な根拠として、仮説をたて、目的とつなぎ合わせるのだ。
例:ある商品についての資料(ABCDEの5種類)の請求者が少ないので、増やしたい
■根拠:資料請求者の動向をみてると、資料Aの請求者が全体の55%。他の資料は数パーセントずつ。資料Aは、ユーザーには「商品についての解説のみならず、実務に活かせるノウハウ集にもなってて便利」という声をいただいている。
■仮説
(1)資料Aについて、ノウハウ集があるという点をより訴求を強化したら資料請求が増えるのでは
(2)資料BCDEも資料Aのように、実務に活かせるノウハウを掲載&ノウハウがのってることをアピールしたら、資料請求が増えるのでは
このように、指標に基づいて仮説を考えることこそ、「とりあえずUI直せば、どうにかなるんじゃないか病」から脱する唯一の治療法だと思う。
患者になった身から思ったこと
「なんでこんなに私が考えたのに、誰もきいてくんないの、ムキー!」って思ったら罹患のサイン!
私が「とりあえずUI直せば、どうにかなるんじゃないか病」になったとき、この病気であると指摘してくれる人は少ないなあと思った。みんなそこまで私のことみてないし、自分の仕事で精一杯だ。だから、自分でなおすしかないんじゃないかと思う。
もちろん、助けの手助けをしてくれるスキルをもつ人たちもいる。ログ解析スキルを持つwebディレクターやマーケターなら、サイトのトラフィック面という指標をだし、仮説を導くためのお手伝いはできると思う。(実際、自分も「とりあえずUI直せば、どうにかなるんじゃないか病」になったときは、とにかく指標だすためにトラフィックもみるしね)
けど、自分も関わってるサービスにもかかわらず、客観的な指標も仮説も出してこない担当者に対しては、私はお手伝いは申し出ず「まずはご自分が持っているデータから、仮説をたてていただけますか。その後改めて話しましょう」と返事をすることにしている。
私の文章力を育ててくれた山田ズーニーさんの連載にこんな文章がある。
「先生は20年もがんばってこられた教育のプロです。教育については、私たち素人よりもずっとずっと深いお考えがあると思います。今回のことも、先生がお考えなしにされるわけがないじゃないですか。みなさん、まず先生のお考えをうかがいましょう」
と言われれば、教師はもし、考えなしにやっていたとしても、そのことを恥じ入り、責任ある、自己ベストな発言をせざるを得なくなる。同様に、「あなたはこの道のプロですから」「私はあなたの発言を全面的に信頼していますから」等、言われた方は、自己ベストの発言を引き出されてしまう。
その商品や分野を一番知っているプロフェッショナルと、私やwebマーケター のようにUIやトラフィックを改善する側、両方がユーザーの声をきいて相互に意見を交わしてはじめて、よりよいECサイトを作れると思う。
山田ズーニーさんの言葉のように、相手を認め、信じる。この気持ちでいたい。私はまだまだ未熟で、なかなかその境地に達することができないので、精進したいと思う。
良記事をありがとうございます!
身につまされる内容でした。自分の身の回りだけだと気づけずにいたと思います。
この記事を起点に日本のWEBのあり方が変わるような気がしました。
背景として、SEOが影響していそうですね(^^;)