ビジュアルファシリテーターの阿呆な研究

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脱原発デモ「紫陽花革命」が共感を呼びづらい理由

大飯原発再稼働を前に、反原発デモが至る所で行われている。首相官邸前で行われたデモ「紫陽花革命」もその一つ。どちらかというと政治主張が左寄りの私は気になってその主張をみたんだけど・・・その瞬間ドン引きしてしまった。

「なんで世論の支持を遠ざけるようなアプローチしちゃうの?!」って思った。

紫陽花革命の主張を、私はこんな風に感じてしまったのだ。

「オーバースペックすぎてニーズが少ない商品」を、
「不安をあおって上から目線で消費者に売ろうとしてる」人。
※商品=市民活動
※消費者=一般市民

他の人の目にはどううつっているかはわからないけど、今回は脱原発デモ「紫陽花革命」が共感を呼びづらい理由について、政治学的視点と、表現的視点から、考察をしてみようと思う。

※今回は脱原発デモのアプローチ方法についての議論であって、脱原発がいいのか、原発維持がいいのかという議論ではないでのでご了承ください。エネルギー問題について私に議論を求めても、スルーしますのでご了承ください。

※基本、私は脱原発をしていくべきという思想なので、紫陽花革命の支持者と考えは近いです。事実、17歳の頃から、3つのNPO/NGOで8年間活動してきてたし、今も某環境NGOに毎年欠かさず寄付をしています。大学では日本の市民活動の発展を願って政治学を専攻し「日本におけるNPO活動」という卒業論文を書きました。どっちかというと左よりです。
だからこそ、紫陽花革命についてのアプローチは疑問を感じています。


まず。紫陽花革命って何ぞや?についてまとめてみた。

「紫陽花革命」という商品概要

「広瀬隆さんより6.29 首相官邸前行動の呼び掛け」PDFより要約

【結論】野田を倒して原発をとめよう

【理由】現在の間接民主制で原発問題を判断すると、「日本が滅亡する」危険に晒されるから。

・大飯原発の再開は危険である。根拠は、関西電力の送電系統の異常警報が26回あったこと。地震の可能性も示唆される中、有事の際原発への外部電源になる箇所でこうした異常があるのは危険である。

・福島の震災対応はぐずぐずしている。福島で核燃料火災が起きると、地球規模の巨大汚染がおきる。なお、東電の下請け企業が現場を管理している。

・こうした原発の問題を議論するためには直接民主主義が必要だが、議会と政府が間接民主主義の実験を握っている。議会と政府は日本国民を「日本が滅亡する」「かわいい子供達が殺される」危険にさらしているから、このような政府は倒さなければいけない。

要約してみると、根底には現在の政府への激しい怒りを感じる。
さてこの商品、はたして支持する消費者がどのくらいいるのかが気になるところ。というわけで、次は消費者について考えてみるとする。

日本の市民という消費者=反体制にうんざり気味


dislike button / Sean MacEntee

日本の市民の大半は、政治に大小不満はあっても、直接民主制にしたいとかの、反システム的な国家変動までは望んでいない人が大多数だと思う。経済格差が生じてるとはいえ、現在の経済をベースにそこそこの暮らしをして利益を得ているから。
日本の市民の市民活動への見方は、戦後からの市民活動の歴史をひもとくとわかりやすい。

・戦後〜1960年代末:政府に対するもの=市民活動だが、限界が見える

戦後、日本国憲法で結社の自由が認められたことで、社会運動は活発になってきた。
例えば1960年代の安保闘争。労働組合、社会党、共産党が中心となって、大規模な動員力を持つ体制批判の政治活動が大きな力をもっていた。おりしも当時は冷戦下で、ヴェトナム戦争の真っ最中。アメリカ資本主義vsソ連の社会主義(共産主義)というわかりやすいイデオロギーもあった。資本主義の体制批判をしてた市民活動は活発になって、「平等な社会を目指す!」と叫んで支持者を集めてた。この時期は近現代の日本で一番、社会運動が活発な時期だったと思う。

でも反面、反体制の市民活動は、矛盾もたくさん生じていた。
いざ大規模な所得分配をめざしたら国家の管理や肥大につながるとか、平等うたいつつ実は受益者はごく一部の人 ー中小企業ではなく大企業の一部労働者、女性ではなく男性、とかー に限られる政策だとか。

そのうえ、資本主義にもとづいて、高度経済成長期にいた日本国民からすれば、こうした成長の中で社会の仕組みを変えることを望まない人も増えてきた。もちろん、資本主義にも問題はあった。最たる例が、1960年代末から1970年代におきた、大量生産大量消費による公害問題。水俣病や四日市ぜんそくのような公害病からゴミ問題のような生活公害で、多くの人が苦しんだ。けど、資本主義は経済成長というメリットを国民に広くもたらしていたから相応の支持は得ることができていた。

一方の反体制の市民活動では、イデオロギーの議論に終止して、公害問題などの解決策は見いだすことは当然できなかったんだ。で、矛盾だらけでメリットが直接なさそうな反システム的市民活動は、支持者がどんどん減っていっていっちゃったのだ。

・1970年代〜1995年:市民活動、行政、企業が恊働で社会を担うアクターとなってくる

そこでうまれたのが、「新しい社会運動」とよばれる、各問題に個別に対処する新しい市民の動き。福祉などの国内問題解決のみならず、カンボジア内戦では国家の枠をこえて、行政から独立し、時に行政と恊働しつつ自主財源で難民をサポートする活動がうまれた。
また、1985年のプラザ合意後、「企業の社会的責任」をうたって消費者の支持をあつめたアメリカ企業が日本に進出してきた。好景気だった日本の企業もこれにならい、社会貢献ブームが芽生えてきた。バブル崩壊後も社会貢献ブームは形をかえ、こんどは閉塞感からの脱却のツールとして、企業の社会貢献が日本で注目されるようになった。企業と市民活動相互の間での人的交流も活発になり、市民活動のマネンジメント体制も強化されていった。

・1995年〜現在:NPOとして市民活動が認知され、法整備も整ってくる

市民活動の中でNPO活動が俄然注目をあびるようになったのが、1995年の阪神淡路大震災だった。機動性があり、行政ではいきとどかない多彩な活動ができることを照明したんだ。

阪神淡路大震災の対応が評価され、社会問題解決のための公共活動の担い手として、NPOは力を持つようになっていった。これに伴い、2003年5月にはNPO法が改正され、法人活動分野が増加されるなど、NPOは多様化する活動内容にそった支援がうけられるようになってきた。(制度を悪用する団体の取り締まりも強化されたよ!)

まとめ:現在の日本で市民活動が認められるベースは「反体制」ではなく「恊働」であること。

市民活動という商品は、1970年代以降「行政と企業と一緒に、個別の社会問題を解決する」という内容で、日本の市民に広くうけいれられてきたんだ。他方の「政府をたおせ!」というような反体制の活動はニーズが減り続けてる。

原発問題は確かに考えなければいけない問題だとは思うけど、反体制のニーズが少ない消費者にむけて、「政府をたおせ!」という色のついた商品をアピールしたらどうなる?答えは明白。そっぽを向かれるにきまっている。

ニーズが少ない消費者に、不安をあおって上から目線でものをいった


End-Hate / -Marlith-

では次に、「不安をあおって上から目線」がなぜ支持を得ないのか、について考えたいと思う。

まず、原発問題は考えるべき問題か否か、といったら多くの人はきっと「考えなきゃいけない問題」とこたえるだろう。「原発なくそう」という意見は、そういう人たちの心には届かないものでは決してないと思う。
しかし、

「無知・無能で、傍若無人な野田佳彦」
「誰も、野田佳彦のような人間のクズを総理大臣に選んだ覚えはない。早く退陣しろ。」
「広瀬隆さんより6.29 首相官邸前行動の呼び掛け」PDFより

というような、反体制のメッセージしかも上から目線の台詞つきだったらどうだろう?
自国の総理について、いけてないなーと思ってる人もいるかもしれない。でも、ただでさえ反体制の商品に嫌気がさしている日本の消費者が、さらに上から目線でのアピールをされたら「お前がいうなよ!」とつっこみたくなるんじゃないだろうか。

山田ズーニーさんの本にある、正論についてのエッセイがこのコミュニケーションの問題点を的確についている。

正論は強い、正論には反論できない、正論は人を支配し、傷つける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう関係性の中で言うか?」を考え抜くことだ。それは、正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからだ。

(中略)
望んでもいない相手に、正論を振りかざすのは、道いく人の首根っこをつかまえるような暴威だ。まして、あなたと対等でいたい、あなたより立場が上でいたい、と思っている相手なら、無理矢理その場から引きずり下ろし、プライドを傷つけ、恥をかかせる。
だから、相手はあなたのいっていることの効能を理解するよりずっとはやく、感情を害してしまう。

あなたの話はなぜ「通じない」のか?山田ズーニー 筑摩書房

反政府な立場、しかも上から目線のコミュニケーションだから、どんなに不安を論理で説明しようとしても、その論理は受け手にとどかなくなる。むしろ、その論理ですら信憑性を疑われてしまう。
この伝え方じゃ、伝わるものも伝わりづらいんじゃないかと思った。残念すぎる。

じゃあ、どうやって伝えていくのがいいの?


Organization-Hannah / nist6ss

紫陽花革命を支持する人たちへ、政府への怒りを変えろ、とはいわない。持っている不安を変えろ、とはいわない。ただ、その怒りをそのまま周囲にぶつけるんじゃなくて、ぐっとこらえて他のアプローチ方をするべきだったのでは、と思う。

同じ集うなら、原発じゃないエネルギーを研究・販売している組織に「私たちはあなたの電気がほしいんです!うってください」とアプローチするとか。それこそ紫陽花のようにみんなで咲き誇ればよいと思うんだ。寄付もいいかもしれない。10万人が1000円ずつでも寄付すれば、1億円になる。政策提言のNPOが政治家をまきこんで政策を研究する研究資金にもなるかもしれないし、エネルギーを研究する学者さんたちの生活を支えるかもしれない。

大事なのは、自分が一時的に集まって声をあげることではなく、「自分、ひいては周囲がお金の流れを変えること」だと思うのだ。
原発を支持しないなら、原発ではない他のエネルギーを生み出そうとしている人へお金が流れるように消費行動を変える。東北地方の漁業を応援したいなら、東北産の商品を買う。もちろん、個人で消費行動をかえるのには限界があるから、消費行動を変える仕組みやサービスを立ち上げられたら素敵だ。企業や行政と手を組めば、きっとより多くのお金の流れを変えることができる。

「政治への怒りをそのままあらわさず、経済の仕組みを他者と一緒に変えていく」この方針は、私が4年間の政治学科での学問と、8年間の市民活動の現場で学んだことだった。
共感ということばは、企業と消費者の関係性においても、市民活動と市民の関係性においても重要だと思う。

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Comments & Trackbacks

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  1. はじめまして。この記事に共感と安堵を覚えました。

    橋下市長が原発再稼働の意思表示をした際、
    けしからんね!の勢いで原発問題についてようやく調べ出しました。
    皮肉なことに今の結果として「脱原発派」を口上する方々の活動と
    その周囲の反応を知り、恐怖を感じております。

    特に私の不安度が高いのは、幼いお子さんをお持ちで
    「賢い母」であらねばならないと脅迫観念に捉われるタイプの
    おかあさん方に対してです。
    「愛ゆえ」を盾に、身近な人たちにとっての幸せの在り方を
    無視して暴走しないかを危惧しております。
    原発もたしかにこわい。が、児童たちにとって親からの
    「健全な愛情」を得られず過ごすことの方が将来、
    よほどこわいことをもたらす確率が高くなるのではないでしょうか。
      ※たとえば以下の活動が過剰な頻度で行われることを想定しています。
      ・特定の食材を買わないことによる、子の栄養バランスの偏り
      ・たとえ高価でも放射能被害がないと信じる商品を買って家計赤字
      ・悲壮感を強めて自分の精神状態をどん底に追いつめていき、
       子や夫と笑顔で接することができなくなること

    あと個人的に残念に思うのは、私の友人数名がその種のデモに参加していたことです。
    御神輿かついだり夜通し踊ったりするエネルギー消耗法に疑問を持ちました。
    身内のひいき目で見たくても、どこぞの音楽フェスティバルに参加するノリにしか見えませんでした。。

    コミカル・非現実的発想かもしれませんが、みんなで発電機とか作れないものですかね。
    たとえば自転車のような装置しか今の私の頭に思い浮かばないのですが、
    『みんなで一晩中ペダルをこいで電球を点そうぜ!ただし21時以降は静かにね』と。
    自然エネルギーでどうにかなるというのが彼らの主張ですものね。
    いっそby ourselvesを掲げたイルミネーション祭でもすれば、
    脱原発依存の訴求力と共感の輪が強まりそうだと思いました。

    原発反対という意見自体は皆同じ、ただ手法が違うだけで
    急進派と争うのは本来ナンセンスなのですが、それを踏まえて
    こちらの意見を述べても「あんたまで何のんきなこと言ってるの!」と
    一方的に怒られそうで少し困っておりました。。
    この整理された記事のおかげで、散らかっていた私の頭も少し整理されたように思えます。
    作成ありがとうございました。

    追記)著者さまの学生時代の専攻分野と活動内容が共通しており
    職種まで私と同業だったので、勝手にご縁を感じ投稿しました。
    ではお忙しいところの長文乱文、失礼いたしました。

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